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「ですが…何故、向こうの方々と直接お話されないのですか」
開け放った窓から、緑色の風が工房へ流れてくる。
さわさわと葉ずれの音の向こう側で、小鳥のさえずりも聞こえる。
そんな清々しい空気の中、頼久は真剣な面持ちで友雅に向かい合う。
「一度もあちらに伺ったことは、ないとお聞きしましたが。」
「あんなところに行ったら、それこそ手錠を掛けられて監禁されかねないよ」
答えを言うまで、ここから帰さない…なんて、そんな脅迫だってあながち冗談にも思えない。
これまではほとんどが、シリンがアクションを起こしてきた。
が、それは別に彼女だけ…というわけでもない。
弁護士だとか、行政書士だとか。
果ては会社の社長代理直々に、電話やFAXを送り付けて来ることもあった。
その割には、全員言っている内容は同じ。うんざりだ。
「それでも、橘さんがはっきりとお答えをなさらなければ、あちらは諦めては下さらないでしょう。」
「………しつこいからねえ」
友雅は気のなさげな返事をして、また頼久から顔を逸らした。
「橘さん、一度お父様の遺言状に、目を通された方が宜しいですよ。」
「妙なことを言うね。まるで頼久は、見たことがあるみたいだが?」
「まさか、そんなことはありません。ですが、先日シリンさんとお話致しました時、簡単な内容を教えていただきました。」
何と書かれておられるか、おわかりですか?と頼久は尋ねる。
そんなこと言われてもさっぱりだが、おおよそは推測できる。
"会社を継げ"と、そういう面倒臭い内容なのだろう。
だから、シリンたちが自分を追い掛けてくるのだろうし。
「確かに、考え方によっては、そう思われるかもしれません。ですが、もっと広く大きな意味のある御言葉ですよ。」
意味深な言い方をするから、やけに中身が気に掛かる。
無視していようと思っていたのに、完全にシャットアウトが出来ない。
友雅の様子に気付いたのか、頼久は一呼吸置いてから、ゆっくりと息を整えて背筋を伸ばした。
「橘さんの意志にすべて委ねる----------と。遺言状には、そう書かれておられたようですよ。」
自分の意志にすべて委ねる?
どういう意味の言葉なんだ、それは。
私の思い通りに、会社を任せるという意味なのか?
「遺産などの相続に関しては、全て決着は着いているそうです。ですが、会社の経営に関しては、あなたの意志に沿うようにと。」
病いに倒れたあとも、同じようなことを繰り返していたのだと、何人かの証言が残っているらしい。
「待ってくれ。それはつまり…何なんだ?」
友雅は少し、頭の中が混乱してきた。
父は一体、自分にどんな権利を預けようとしていたんだろう。
会社の指揮を執れと?経営者として、社長の席に着けと?
だが、それにしてはあまりに曖昧で…その言葉だけでは、確信が出来ない。
「橘さん、余計なことかもしれませんが、一度お話するべきかと思います。」
頼久はきっぱりと、そう話した。
「晩年お祖父様が亡くなられたあと、お父様はいろいろ悔やんでおられたのだと、それとなく伺いました。」
元はといえば、彼が社長として率いていた『Orangea』は、祖父が築いた会社だ。
それを経営法で対立し、結局のところ祖父の権利を押しのけてしまったような結果になった。
「お祖父様と袂を分けてしまったことを、お父様は後悔されていたのではないでしょうか。」
会社は更に大きくなった。
けれど質はといえば…以前の丁寧な出来映えの方が良かったと、厳しい意見も多かった。
だが、その分新しいユーザーはどんどん増えたし、それはそれで良かったのだ。
-------が、ただの大量生産ばかりを追求して良かったのか。
祖父のように、こだわりを残すのも必要だったのではないか。
自分は、祖父の作り上げた信頼やプライドというものを、利益というもので押し潰してしまったのではないか。
「お祖父様のご葬儀には、たくさんの弔問客がいらっしゃったようですからね。多くの方が信頼を寄せておられたのでしょう。」
巨大化した『Orangea』と、小さな工房『Evergreen』。
規模は全く違うのに、祖父が長い間培った信頼というものは不変なのだ。
それを目にして、改めて祖父の考えは間違っていなかった-------と、考えたのだろうか。
「ですから、後は橘さんの意志にお任せしたいと、思ったのではありませんか?」
「…どうしてそこで、私が頼られなきゃいけないんだ?」
「橘さんは、お祖父様と懇意にされておられたようですし。だからこそ、だと思いますよ。」
小さい頃からギターを与え、音楽を聴かせながら、音楽の楽しさを教え込んだ。
それを素直に吸収し、祖父に懐いていた友雅ならば、息子の自分よりもずっと祖父の意志に近い考えを持っているかもしれない。
仕事一本で、再婚もせずに…結局子どもは、別れた妻が引き取った彼一人。
自分の出来なかった、悔やまれる会社の一部。
彼ならば、良い方向へ導いてくれるだろう。
だからすべては……彼に任せたい。
どんな結果であれ、その意志にすべて委ねたいのだ。
「----と、所詮他人である私の、単なる推測でしかありませんが。」
頼久は話し終えたあと、残ったコーヒーを飲み干した。
「勝手にいろいろと、期待し過ぎだと思うんだけれどね」
頼久に続いて、友雅もコーヒーを飲み干す。
カップの底には、水たまりのように褐色の液体が痕を残す。
「祖父の意志を継げるなんて…無理だよ。私には、そんな力はない。」
「そうでしょうか?以前橘さんは、"お祖父様の意志を引き継ぐ自信はある”とおっしゃいましたよ?」
と、頼久は痛いところをつく。
父よりはずっと、祖父の気持ちは分かる。
音楽に対する想いは、彼から教えられたようなものだから。
でも------------。
「橘さん、さきほどお話しした株主の方は、比較的大株主の方です。もしもその方々がやめられたら……かなりの大打撃を受けます。」
いくつかの大株主の中で、数人が意見を出している。
他に外国人株主にも同意見があり、耳を傾ける者たちも増えてきている。
「もしもこのまま、社長不在で経営が続くとなれば……『Orangea』の将来は、分かりません。」
「それで?だから私に『Orangea』を継げと?」
「そうは言っておりません。ですが、橘さんが前からおっしゃっているように、別の社長を立てるのであれば、あちらの方々と相談しなくてはならない…と言っているのです。」
例えば、取り敢えず社長の座に着いてから、退任して別の社長を選ぶとか。
そういうことを計画するにも、面と向かわねば状況は変わらぬままだ、と頼久は説明する。
………今日の頼久は、まるで『Orangea』の社員のようだ。
分裂した会社を引き受けているのに、そのライバル会社の現状を気に掛けている。
ついこの間までは、この工房を自分に明け渡したい…と言っていたのに、今日は正反対だ。
「お父様の会社ですが、あちらもお祖父様が作られた会社です。このまま、不安定な状態に陥るのを黙っていられるのですか?」
友雅は目を閉じて、両手で顔を覆った。
膝に肘をつき、がくりと疲れたように顔をうつむかせ、肩を落とす。
ためいきしか出てこない。
どうすれば良いのか、どうしたら良いのか……答えが浮かばない。
何故、こんなに自分は迷っているんだ?
祖父の意志を継ぐ自信があるなら、堂々と胸を張って向こうを訪れて、何でも言い放てば良いのだ。
社長を引き受けるつもりはないから、適任の者を社内から選べと言えば良い。
いや、株主が去って会社が低迷しても…規模を縮小すれば良いのだから、これも良い機会だ。
--------なんて、そんなことを……何故か思えない。
どうすれば…答えが見付かるんだろう。
自分は何がしたいのか。
不透明な靄は、更に胸の中を曇らせてゆく。
-----THE END-----
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