Spring Has Come!

 001

人生の節目の数は、個人差がある。
例えば…七五三や成人式など。
その他小学校、中学校、高校の入学や卒業もあるが、大学に進んだ者は更に入学と卒業の数が増える。
あかねも、その一人だ。
二年間の短大生活を三月で終え、これからは一社会人。
「でも、就職してないですからねえ…私は」
「あかねの場合は、近いうちにとっておきの就職が待っているじゃないか」
ソファに腰掛け、彼の腕にごろんと寄り掛かってみる。
昼間は随分と暖かくなったけれど、まだまだ夜は熱いミルクティが美味しく感じるくらいだから、こうして寄り添ったところから伝わるぬくもりも心地良い。
そんなあかねの顎の先を、友雅の指先がちょん、と突いた。
「それとも、あかねは就職口に不満があるのかな?」
「そ、そんなことないですよっ!」
ふざけて言っているのは、明らかに分かるのだけれど、ついムキになって反論してしまう。
たとえ冗談だって、そんなこと言えないし思えない。
一生あなたのそばで生きて行く選択に、文句のひとつなんて何も無い。

「まあ、あかねは新社会人の同級生よりも、もっと忙しい事がたくさんあるよ」
そう、いよいよ今年に本番を迎える、人生のメインイベント。
結婚式への準備は、なかなか終わりを見せない。
挙式の打ち合わせを兼ねて、毎月必ず彼と一緒に神社を訪れている。
日取りは大体おおまかに決まったが、あとはドレスやら花嫁衣装やら、披露宴やら招待客やら…と諸々の事項。
それと並行して、彼は神主たちの雅楽演奏についても、引き続き手ほどきをしているため、すべてが整うまではまだ時間が掛かりそうだ。
「衣装も焦らないで、ゆっくり選びなさい。悔やむことのないようにね」
「うん…そうですよね」
昔からの定番で白無垢にするか、それともやっぱりドレスにするか。
最近は和洋折衷なデザインもあったりして、どんどん迷うアイテムが増えて行くばかり。
それでも彼は、呆れもせずに付き合ってくれる。
どんなに長時間悩んでいても、そばにいて話を聞いてくれる。
それが……とても嬉しい。

「さて、と。そろそろ、明日の支度をしないといけないな」
ふと彼が、壁に掛けられた時計を見た。
現在の時刻は、午後9時30分。
決して遅い時間とは言えないけれど、明日は一日中リハーサルなのだ。
最終リハであるため、舞台に立って衣装も本番と同様に行うことになっている。
「羽織は、クリーニングから戻って来てますよ。あと、扇と足袋と袴と…一式、お部屋に用意出来てます」
「ああ、そうか。ありがとう、助かるよ」
彼の着替えや仕事着の支度の勝手も、随分と分かるようになってきた。
何が必要で、何を新しくしなくてはいけないか。クリーニングには、どんなところを注意して頼むべきなのか。
最初は彼に教えてもらってばかりだったが、今では率先して用意を整えることが出来るようになった。
これからは、彼を裏でサポートしていかなくてはならない。
それも、きっと"妻"の仕事のひとつであるはずだから。

「あかねは…明日はバイトだったよね?」
「そうです。午後からですけど」
学生の頃に始めたカフェのバイトは、何のかんので今も続いている。
辞める理由も特に無いので、そのまま継続中だ。
「じゃあ、明日の夜は、どこかで食事でもしようか」
最終のリハーサルが終わると、おそらくその流れで飲み会に連れ出されそうだ。
大人数で騒がしい宴は気が休まらないし、それならさっさと退散した方が良い。
「それって私との食事を、逃げの口実にしてるんじゃないですかー」
何となく不満げな顔をするあかねに、友雅はそっと顔を近付けた。
「そう、口実。本当は食事なんてどうでも良くてね…」
耳元に添えられる唇。
ふっ、とかすかに耳朶に触れる吐息。
「本当は、少しでも早くあかねのいるところに戻りたいから、だよ」
つまらないだろう?離れているなんて。
いつもはこんなに一緒にいるのに。
「酒なんかよりも、あかねに酔う方が気持ち良いしね?」
「…うっ…」
こっちが今にも腰砕けになりそうなのに、余裕の笑顔で艶やかに見つめたりするから、頬が燃えるように熱くてたまらない。
「何が食べたいか、迎えに行くまでに考えておくれ。姫君のご要望に従うからね」
手のひらを取り、指先にそっとキスなんかして。
困っちゃうくらいに、胸がどきどきしてしまう。
出会って何年も経っているのに……今も。


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公園通りの小さなカフェは、中心街から少し離れた緑の多い場所にある。
レンガ造りに鎧戸の窓が施され、落ち着きのあるムードの店内には客足が途切れることはない。
かと言って、多くの人で賑わうというわけでもなく。
近所の主婦たちが午後のお茶を楽しみに来たり、やや年を取った男性が一人でゆっくりコーヒーを味わいに来たり、という常連客が多いのだ。
それでも夕方くらいになれば、学生たちが顔を出すこともあり、適度に繁盛しているという感じだろう。

「あかねちゃん、そろそろガトーショコラが無くなりそうだから、奥からカットして持って来てくれる?」
「はい!わかりましたー」
詩紋の叔母である店長に言われ、あかねは厨房に引っ込んだ。
大きめの冷蔵庫から残りのケーキを取り出し、数個にカットして、それをまた店内のガラスケースへ。
「美味しいもんねー、このガトーショコラ」
ケーキセットの中では、一番の人気を誇るガトーショコラ。
大概は売り切れご免で残ることはないのだが、運良く(?)余りが出たときはテイクアウトして買って帰る。
しっとり感とビターな甘さが丁度良く、友雅も割と食べてくれるので気に入ってくれているようだ。
見よう見まねで自分で作ってみたが、やっぱりどこか味わいが違う。
週末だけケーキ作りの手伝いをしている詩紋に、コツがあるのかと尋ねてみたりしたが、パティシエの企業秘密らしいから…と、肝心なところは教えてくれない。
「うーん、今度買って帰れたら、じっくり味わって研究してみよ」
そう毎回思うのだけど、いざ目の前にすると美味しさばかりに捕らえられて、気付くとたいらげてしまっているのがオチである。


夕方の学生客タイムが終わると、さすがに店も静かになってきた。
時々ふらっと顔を出す客もいるが、この時間になれば自宅で夕飯を摂る人々が大半を占める。
「あかねちゃんは、今夜はどんなおかずにするの?」
あかねが既に友雅と一緒に暮らしていることは、もちろん店長も知っている。
正確には、まだ完全に同居というわけではなくて、限りなく同居に近い同棲と言ったところなのだが。
「えーと…今日は外ご飯にしようって、昨日からの約束なんです」
「へえー良いわねえ。私なんか外食に誘ってくれるなんて、全然ないわよー。羨ましいわー」
さりげなく冷やかされたり、突かれたり。
でも嫌みじゃなくて、祝福してくれることが分かるから、くすぐったいけど嬉しくもある。

「ね、じゃあ…その優しい旦那さんに、ちょっと相談してみてくれない?」
「え?相談って…何をですか?」
白いティーカップに、熱いアップルティーと小さなクッキー。
甘酸っぱい香りに誘われてあかねが椅子に座ると、彼女は話を切り出した。



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Megumi,Ka

suga