今にも雪が降り出しそうなほど、凍てつく冬の夜。
ベランダに続く窓には、厚手のカーテンを引く。
外からの空気をしっかり塞いだ室内は、ほのかに春の気配を感じる優しい温度だ。
「お疲れさま。あかねもこっちに来て、暖まると良い」
後片付けを終えた彼女は、キッチンからリビングに戻って来た。
濃いめの紅茶に、たっぷりのミルク。
バラの形の角砂糖は、2つ。
「は〜、お腹の中からあったまる〜」
ほんの一口飲んだだけなのに、甘いミルクティーは体温を上昇させてくれる。
ピンクのカップを両手で抱え込み、あかねは友雅の隣に座った。
ソファのそばにあるバスケットから、オレンジ色のチューブを手に取る。
キャップを外して、手のひらにちょっとだけ絞り出す、生クリームみたいな白いクリーム。
「あかねがそれを使っていると、いつも部屋中良い香りになるよ」
「香りだけじゃなくて、しっとりするんですよ、このクリーム」
冬場は乾燥したり水を使ったりで、指先や手が傷むことが多い。
ちょっと一休みする時、ハンドクリームを手に擦り込むのがあかねの習慣だ。
「かさかさするの嫌ですし。塗っておくと、つるっつるになるんです」
ほら、と両手を開いて友雅に見せる。
綺麗に整えられた爪と、細い指先は艶やかに潤っている。
「あ、そうだ。友雅さんにも塗ってあげます」
「私に?私は男だから別に良いよ」
「ダメです。友雅さんは、指を大切にしなきゃいけないお仕事なんですから」
彼の仕事は、琵琶を教えることだ。
それと兼用して彼自身も、演奏家として舞台に立つことも多い。
指先で弦を押さえ、撥を使って音を奏でる。
楽器と同じくらいに、つま弾く彼の手もまた重要な楽器と言えるだろう。
「ちょっとだけつけますね」
友雅の手の甲に、少しクリームを絞り出す。
そしてあかねは彼の手を取り、指先にそれを延ばしていった。
「ふふ、マッサージしてもらっているようで、何だか気持ちが良いね」
「でしょ?クリームつけたほうがなめらかだし、指の筋肉もほぐれますよ」
丁寧に指先の隅々まで、ハンドクリームを擦り込む。
あかねの手に比べて、彼の手はとても大きい。
手のひらを広げて重ねたら、影も形もなく隠れてしまうくらい。
それなのに、指先は細くて長くしなやかで。
女性である自分の方が、羨ましいと思うほど綺麗な手をしている。
「友雅さんの演奏、楽しみにしている人たくさんいるんですから、指は大切にケアしてくださいね」
「あかねも、楽しみにしていてくれる?」
「あたりまえじゃないですかー」
この手から、甘く雅やかな音が生まれる。
琵琶を演奏出来る人はたくさんいるけれど、あんな音を出せるのはきっと彼しかいない。
艶やかさと暖かさと、優雅さが広がる平安王朝の音。
「はい、おしまいです。これで友雅さんの手もつやつやに……ん?」
友雅の手が、あかねの頬に伸びた。
「どうだい?つやつやになったかな?」
「…うん」
そっと触れる大きな手は、自分の手と同じ香りがする。
大切なものを守るかのように、優しい香りとぬくもりが頬を包み込む。
「これからは、ちゃんと手入れをしないといけないね。かさついた手で、あかねに触れるわけにはいかない」
ふっくらした柔らかい頬を、撫でながら彼は微笑んでそう話す。
「平気ですよ。全然かさかさしてないですから…」
彼の手の上に、重なるあかねの手。
静かに彼女は睫毛を伏せて、頬を包むぬくもりに想いを馳せる。
いつもこうして、包み込んでくれる彼の暖かさ。
冬のこんな冷たい夜でも、彼の存在が心の中に春の日差しを与えてくれて、飛び込むとそこはまさに、春そのもの。
目を開けて、ちょっと顔を見上げて。
意味は分からないけれど、言葉もないのにお互いに何か笑いがこみ上げて。
抱きしめあい、時々唇を重ねては、またちょっと笑いが浮かぶ。
そう、意味なんて何もいらない。
二人一緒にいられれば、笑顔が自然に生まれてくるから。
「もうそろそろ、寝るかい?」
「んーと、少しだけ紅茶のおかわりしたいかなー」
「眠れなくならないように、ミルクを多めにするんだよ」
例え眠れなくても、眠るまでずっと傍らで見つめていてあげる。
子守唄でも歌おうか。
それとも、甘い囁きが良いか。
「余計眠れなくなるじゃないですかーっ」
恥ずかしそうに顔を背けるあかねを、くすくすと笑いながら友雅は抱きすくめる。
伝えたい言葉はとめどなく溢れそうで、少しずつ口にしなければ窒息してしまいそうだ。
「そんなこと言わないで。あかねにしか言えないことなのだから、ちゃんと聞いて欲しいね」
ハンドクリームと、ミルクたっぷりの紅茶の香り。
まろやかで柔らかくて、安らぎを誘う。
「好きだよ、私の姫君」
逃げられないようにぎゅっと抱きしめ、耳元で何度でも。
この腕の中で溶けてしまっても、全部受け止めてあげるから大丈夫。
「甘い夢を…見せておくれ。決して醒めない夢を、ね」
二人が一緒に見る、同じ夢。
長く長く続く------------永遠の夢を共に見よう。
-----THE END-----
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