手のひらの夢

 001

今にも雪が降り出しそうなほど、凍てつく冬の夜。
ベランダに続く窓には、厚手のカーテンを引く。
外からの空気をしっかり塞いだ室内は、ほのかに春の気配を感じる優しい温度だ。
「お疲れさま。あかねもこっちに来て、暖まると良い」
後片付けを終えた彼女は、キッチンからリビングに戻って来た。
濃いめの紅茶に、たっぷりのミルク。
バラの形の角砂糖は、2つ。
「は〜、お腹の中からあったまる〜」
ほんの一口飲んだだけなのに、甘いミルクティーは体温を上昇させてくれる。
ピンクのカップを両手で抱え込み、あかねは友雅の隣に座った。

ソファのそばにあるバスケットから、オレンジ色のチューブを手に取る。
キャップを外して、手のひらにちょっとだけ絞り出す、生クリームみたいな白いクリーム。
「あかねがそれを使っていると、いつも部屋中良い香りになるよ」
「香りだけじゃなくて、しっとりするんですよ、このクリーム」
冬場は乾燥したり水を使ったりで、指先や手が傷むことが多い。
ちょっと一休みする時、ハンドクリームを手に擦り込むのがあかねの習慣だ。
「かさかさするの嫌ですし。塗っておくと、つるっつるになるんです」
ほら、と両手を開いて友雅に見せる。
綺麗に整えられた爪と、細い指先は艶やかに潤っている。

「あ、そうだ。友雅さんにも塗ってあげます」
「私に?私は男だから別に良いよ」
「ダメです。友雅さんは、指を大切にしなきゃいけないお仕事なんですから」
彼の仕事は、琵琶を教えることだ。
それと兼用して彼自身も、演奏家として舞台に立つことも多い。
指先で弦を押さえ、撥を使って音を奏でる。
楽器と同じくらいに、つま弾く彼の手もまた重要な楽器と言えるだろう。
「ちょっとだけつけますね」
友雅の手の甲に、少しクリームを絞り出す。
そしてあかねは彼の手を取り、指先にそれを延ばしていった。

「ふふ、マッサージしてもらっているようで、何だか気持ちが良いね」
「でしょ?クリームつけたほうがなめらかだし、指の筋肉もほぐれますよ」
丁寧に指先の隅々まで、ハンドクリームを擦り込む。
あかねの手に比べて、彼の手はとても大きい。
手のひらを広げて重ねたら、影も形もなく隠れてしまうくらい。
それなのに、指先は細くて長くしなやかで。
女性である自分の方が、羨ましいと思うほど綺麗な手をしている。
「友雅さんの演奏、楽しみにしている人たくさんいるんですから、指は大切にケアしてくださいね」
「あかねも、楽しみにしていてくれる?」
「あたりまえじゃないですかー」
この手から、甘く雅やかな音が生まれる。
琵琶を演奏出来る人はたくさんいるけれど、あんな音を出せるのはきっと彼しかいない。
艶やかさと暖かさと、優雅さが広がる平安王朝の音。


「はい、おしまいです。これで友雅さんの手もつやつやに……ん?」
友雅の手が、あかねの頬に伸びた。
「どうだい?つやつやになったかな?」
「…うん」
そっと触れる大きな手は、自分の手と同じ香りがする。
大切なものを守るかのように、優しい香りとぬくもりが頬を包み込む。
「これからは、ちゃんと手入れをしないといけないね。かさついた手で、あかねに触れるわけにはいかない」
ふっくらした柔らかい頬を、撫でながら彼は微笑んでそう話す。

「平気ですよ。全然かさかさしてないですから…」
彼の手の上に、重なるあかねの手。
静かに彼女は睫毛を伏せて、頬を包むぬくもりに想いを馳せる。
いつもこうして、包み込んでくれる彼の暖かさ。
冬のこんな冷たい夜でも、彼の存在が心の中に春の日差しを与えてくれて、飛び込むとそこはまさに、春そのもの。

目を開けて、ちょっと顔を見上げて。
意味は分からないけれど、言葉もないのにお互いに何か笑いがこみ上げて。
抱きしめあい、時々唇を重ねては、またちょっと笑いが浮かぶ。

そう、意味なんて何もいらない。
二人一緒にいられれば、笑顔が自然に生まれてくるから。


「もうそろそろ、寝るかい?」
「んーと、少しだけ紅茶のおかわりしたいかなー」
「眠れなくならないように、ミルクを多めにするんだよ」
例え眠れなくても、眠るまでずっと傍らで見つめていてあげる。
子守唄でも歌おうか。
それとも、甘い囁きが良いか。
「余計眠れなくなるじゃないですかーっ」
恥ずかしそうに顔を背けるあかねを、くすくすと笑いながら友雅は抱きすくめる。
伝えたい言葉はとめどなく溢れそうで、少しずつ口にしなければ窒息してしまいそうだ。
「そんなこと言わないで。あかねにしか言えないことなのだから、ちゃんと聞いて欲しいね」
ハンドクリームと、ミルクたっぷりの紅茶の香り。
まろやかで柔らかくて、安らぎを誘う。
「好きだよ、私の姫君」
逃げられないようにぎゅっと抱きしめ、耳元で何度でも。
この腕の中で溶けてしまっても、全部受け止めてあげるから大丈夫。
「甘い夢を…見せておくれ。決して醒めない夢を、ね」

二人が一緒に見る、同じ夢。
長く長く続く------------永遠の夢を共に見よう。





-----THE END-----




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2012.01.03

Megumi,Ka

suga