ひみつの約束

 001

2010年の年明けは、日本全国で厳しい寒波に覆われた。
特に明け方の寒さは尋常じゃなく、"マンションの屋上に上って初日の出を見よう"------------というのも、あっけなく玉砕してしまった。
それでも、元旦のうちに初詣にも行ったし、おせちも雑煮も作って食べたし。
ちゃんとお正月らしい三が日は、過ごせた…はずだ。

そして、殆どのところで仕事始めが過ぎた、1月某日。
あかねは友雅と共に、待ち合わせの場所へと向かった。


「もう、ごめんなさいねえー。付き合ってもらっちゃってー。」
「いいえ、構いませんよ。荷物を気にしていては、気持ち良く買い物なんて出来ないでしょう?」
友雅はいつもの微笑みを浮かべて、母の買い物袋を軽々と両手で抱える。
年末と何ら変わらぬ、客の足が一切途切れることのない大混雑。
有名ブランドが勢揃いする百貨店の、新年セールは今日からスタート。
母と一緒にここのセールに出掛けるのが、毎年あかねの恒例行事でもあった。
けれど、今年はあかねと母以外に、もう一人同行者がいる。

「あかねも、見たいものがあるなら一緒に行っておいで。ここで待っていてあげるから。」
フロアの隅にあるソファに腰掛け、友雅は母の荷物を足元に置いた。
横を見ると、何人かの男性が同じように座っている。
彼らは一様に疲れた表情で、手持ち無沙汰に煙草か携帯をいじっているが、友雅だけは全くそんな素振りは見せない。
「ほら、あかね!橘さんがそう言ってくれてるんだから、早く行きましょっ!」
「う、うん…」
母はぐいぐいと腕を引っ張るけれど、あかねとしては少し後ろめたい。
ちらちら振り向いて友雅の様子を伺いながら、彼女は混雑した店内に消えた。




「ねえちょっとあかね、これなんかどうかしらねえ?」
心ここに有らずな感じのまま、母に強制的に引っ張られて来たのは4F。
女性客の少ないメンズファッションフロアは、比較的他よりも混雑が緩やかだ。
「ちょっと!あかね、聞いてるの!?」
「え?何よー…」
母は手に持っていたシャツを、あかねの目の前でばっと広げて見せた。
シンプルなシャンブレーワークシャツで、色は落ち着いたモスグレー。
「どう?これなんか素敵だと思わない?」
「えー?お父さんには若すぎでしょー、こんなシャツ。」
しかも値札を見たら、セール価格で20%OFFになっているとは言え、15,000円もするじゃないか。
家計を預かる母が、スーツならともかく日用的に着るようなシャツに、こんな予算を割くはずがない。
だが、あくまでもそれは、このシャツを着るのが"父"であったなら、のことだ。

「ばかねえ。お父さんにこんな高いの、買うはずないでしょ!橘さんのに決まってるじゃないのよ!」
やけにウキウキしながら、母はそう答える。
「どう?こっちは紺なんだけど、グレーとどっちが良いと思う?」
「どっちって言われても〜…」
「そうよねぇー。橘さんなら、どっちも似合いそうで素敵だわぁー。」
二つのシャツを並べ、悩んでいる母は楽しそうだ。

…はあ。まったく…。
母の友雅贔屓は、娘のあかねもつくづく呆れる。
元はといえば今日の買い物だって、突然母から言われたのだ。
『橘さんも一緒に連れてらっしゃいよ!』と。
別に友雅本人は、これと言って欲しいものなどないのに、こんな混雑したセールに付き合わせるなんて申し訳ない。
そう言って断ろうとしたのだが、母も結構しぶといもので。
『紳士服もセールやってるし!橘さんに似合うのがあれば、お母さんプレゼントしたいのよ〜』
娘が世話になっているのだから、それくらい御礼しなきゃ。
…とかなんとか言っているが、結局は友雅を構いたくて仕方がないだけ、だ。

父にしろ母にしろ、友雅に対しては何だかやたらに肯定的。
娘が初めて紹介した彼氏なのに、最初から警戒レベルは0に等しく、あっと言う間に打ち解けてしまい…今じゃ週末を彼のマンションで過ごすことさえ、全く止めもしない。
あろうことか『いってらっしゃーい』と、意気揚々に見送ってくれる始末。

…まあね、お母さんの目から見たって、友雅さんは素敵だと思うだろうけど。
浴衣をあつらえて仕立てたり、家での食事に招待したり。
もらいものがあれば、持っていけって言われるし。
反対されるのは困るけど…こういうのも、何だかなぁ。

「ちょっとあかね!ぼんやりしてないでアドバイスしてよ!」
隣で佇んでいるだけのあかねに、しびれを切らして母が背中を叩いた。
「アンタね、彼氏の服くらい自分で選べるようになりなさいよっ。そんなんじゃ、将来どうするつもりよ?」
「将来〜?」
「旦那さまの服くらい、ちゃんと選んであげられるようにならなきゃ、これから困るでしょ!」

ぎくっ………と、胸の奥から心臓が飛び出しそうになった。
一瞬、周りの喧噪さえ聞こえなくなって。
まだ…胸はどきどき。
まさかお母さん、気付いて…る…?
去年のクリスマスに…彼が言った言葉が甦る。

"花嫁修業の成果を、私に見せなさい。"
それはつまり------------将来の約束。
あの日、彼と指切りした小指が…まだじわりと熱い。

「アンタもねぇ、炊事洗濯は勿論だけど、そういう旦那さまのサポートみたいなことも、ちゃんと出来るようにならなきゃダメなのよ。」
「あ、あの…お母さん?」
「橘さんに愛想つかれちゃったら、どうすんのよ、もう…。しっかりしなさい!」
「お、お母さ…ん?」
あかねの声など全く耳を貸さず、一方的にブツブツと愚痴りながら、結局母は自分でシャツを選んだ。
最初に選んだ、渋めのグレー。
オーガニックコットンの、肌触りの良いシャツ。
「サイズはXLでも、ざっくり着られるから良いわよねえー?」
「え?あ…そう…だね。う、うん…」
「そうよねぇー。肩幅もしっかりしてるし、胸回りも広いし、背も高いし…。フフフ〜、こういうカジュアルなシャツも似合って素敵よねえ。」
すっかり母の頭の中では、シャツを着ている友雅の姿が浮かんでいるらしい。
想像しては嬉しそうにニヤニヤする母を前に、娘としてはどうリアクションすれば良いか…。

それよりも。
…お母さん…知らない、よね…。プロポーズされたことなんて…。
でも、それをもし知ったら…どんなことになるだろ。
恋人紹介と結婚とは別だし、いくらなんでもパニックに陥るかな…。

いや、多分狂喜乱舞してパニックになる…な、おそらく。
「すいません、これ、贈り物に包んで頂けます〜?」
浮き足だってレジに向かう母の後ろ姿を見て、あかねは確信しつつ溜息を吐いた。



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Megumi,Ka

suga