Weekend Fregrance

 001

「最近、ちょっと眠りが良くなくてね」
少し気怠そうな表情。時々小さな欠伸。今朝から、もう何度目だろう。
時間はまだお昼前。週末のカフェは、まだまだランチタイムの賑わいには程遠い。
気分を変えようと、エスプレッソを注文する。
彼女はカフェオレ。ミルクたっぷりの、ほんのり甘い香りが湯気に混じる。
「寝不足ですか?お仕事忙しいとか…」
「いや、新年の演奏会は終わったし、春から始まる教室の準備は、専門のスタッフに任せているから、別に私は忙しいわけじゃないんだけれどね。」
それでも何となく、眠りが浅い。
どれだけ天気が良くても、さほど寒さが厳しくない朝でも、ぐっすりと眠れるのは週に数えるほどだ。

「じゃあ、今日は早めに買い物済ませて、家に帰りましょう?」
あかねは開いていたメニューを閉じ、それをテーブルの隅に戻した。
「ケーキ、頼むんじゃなかったのかい?」
「そんなの良いです。それより、疲れてそうな友雅さんの方が心配です。」
カフェオレを先に飲み干して、あかねはテーブルの上の伝票に手を伸ばす。
友雅はそれを先に手に取り、ジャケットから財布を取り出した。
「別に疲れているわけじゃないよ。ただ、熟睡出来ていないだけで…」
「ちゃんと眠れないと、少しの疲れでも取れなくなっちゃいますよ。そうしたら、身体を壊しやすくなっちゃいます。」
会計を済ませて店を出ると、行き違いに何組もの客が入って来た。
皆、大きな荷物を抱えている。
週末のSCは、これからが賑わい始める時間なのに。

「えーと、じゃあ食料品売場に行く前に、日用品売場行きましょうか」
ここ最近になって、随分と朝と夜が冷え込んで来たから、予備の毛布があと1枚くらいあった方が良いし。
ボアシーツも暖かそうだし、それが良いなとつぶやきながら、あかねはカートを押して前を歩いて行く。
「悪いね。せっかく出掛けてきたのに。」
学生の彼女と自分とでは、生活スタイルが違う。
7日間もある一週間の中で、それらを合わせられるのは週末の二日のみ。
せめてこんな風に外出する時くらい、食事に連れて行ってやったり、彼女の好きなケーキでもご馳走してやれると思ったのだが。
「ケーキなんか、買って帰れば良いじゃないですか。ご飯だって、材料買って帰って作れば良いし。」
そうすれば友雅さんだって、ゆっくり出来るでしょう?……と笑いながら、あかねは振り向いた。

----君がいてくれれば、どこでだってゆっくり出来るんだよ。
それが例え混雑した人混みの中でも、寄り添って歩いて行ければ、それだけで。

あかねの背中を眺め、そんな事を思いながら友雅は後ろを着いて行った。


「あ、そうだ。ボディシャンプーの詰め替え、買っておいた方が良いですよね。」
カラフルなバスグッズが並んだコーナーの前を、通り過ぎようとしたあかねが立ち止まる。
ボトルの中は、確かあと三分の一くらいだったから、少し買い置きしていても良いはず。
「えーっと何だっけ…確かシトラスグリーンの香り…」
ワイヤーラックに陳列されている品物から、彼の使っているものを選んでカゴに入れた。
ついでにハンドソープも…と、別のコーナーに向かおうとした時、友雅がピンク色のボトルを手にして戻って来た。
「これも買って行こうか。」
「え、それ…」
透明なピンクのジェルが入った、ボディシャンプー。
海外コスメのシリーズで、ふんわりと甘いフローラルの香りが肌に残る。
「何だか…妙にこの香りが落ち着くんだよね。君の香りだから、かな。」
ぱちんとキャップを指で開いて、それを彼女の鼻先に近付けてみせた。

「知ってたんですか?私がそれを使ってたの…」
「いや、今偶然に気付いただけ。香り自体は覚えていたけれど。」
試験管のようなガラスケースに、ピンクやグリーンのカラフルな液体が入って並べられていて。
たまたま手に取って、匂いを確かめたそのピンクの香り…それは、いつも近くにあった彼女の香り。
「高いから、特別な時しか使わないんです、それ…」
デートの前の日、彼に会う前にしか使わない、とっておきのボディシャンプー。
香水なんて、まだまだ大人っぽすぎて使いこなせないから、せめてこんなささやかな香り程度。
それでも、少しだけアピールしたくて選んだ香り……覚えてくれていたんだと思うと、何だか胸の奥が熱くなる。

「買ってあげるよ。私もこの香り、気に入ったからね。」
「え、ホントですか?」
「君にはこのボディシャンプーと、私は…同じ香りのこれ」
手のひらに乗った、小さなアトマイザー入りのコロン。
もしかして、おそろいの香りを…?
でも、男性にはちょっと甘すぎる香りなんじゃないかと思うが。

「枕元に香りを飛ばしておけば、ずっと君がそばにいてくれるような気がして、これからゆっくりと眠れそうだ。」
「ん…きゃっ」
辺りに人がいないことを確かめて、友雅はあかねの額にキスをした。
唇の触れた額に手を当てて、あかねは顔を真っ赤に染める。
「でも、これは会えない時だけね。一緒にいる時は、必要ないから。」
これはあくまでも、非常用。
寄り添っていられる週末には、こんなものはいらない。
すぐそばに、香りを放つ彼女がいてくれるから。


「さ、早く買い物を済ませて帰ろうか。やっぱり人混みにいるより、二人きりで過ごせる家の方が良いよ。」
「は…はい。」
あかねはポケットから、慌てて買い物のメモを取り出した。
日用品と食料品、それと…そうそう、ペットショップに寄って金魚のエサと。
「さっきの店にもう一度戻って、ケーキをテイクアウトして行こうか。」
「あ、それなら…南ゲートの近くのケーキ屋さんの方が、美味しいのがいっぱいあるから、そっちの方が良いです!」
「はいはい。じゃ、そこで好きなものを選んで帰ろう。」


賑わう週末の町を抜けて、二人だけの場所にもう一度戻って。
誰にも邪魔されずに、自由に時間を楽しもう。
入れたての紅茶の香りと、甘いケーキを嬉しそうにほおばる彼女の姿と。
そして、彼女から漂う花の香りとぬくもりにつつまれて……まどろみながら目を閉じる午後は、きっと何よりも幸せを感じるだろう。




-----THE END-----




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