Goldfish Mermaid

 001

「あ〜も〜っ!悔しい〜!!」
赤い鼻緒の下駄の爪先で、悔しそうにあかねは石畳を何度も蹴る。
とっぷりと暮れた夏の夜。神社の参道には、どこか懐かしい雰囲気の屋台が並ぶ。
毎年この時期になると、近所の小さな神社で行われる夏祭り。
吊るされた電球や石灯籠の明かり。
祭り提灯が辺りを照らし、子どもたちがはしゃぎながら駆け回る。
祇園祭や七夕祭りみたいに、大掛かりで華やかなものではないけれど、小さい頃から楽しみにしていた夏休みのイベント。
そんなわくわくした気持ちは、今も昔も変わらない。

「あとちょっと!あとちょっとだったのに、あの赤い尾びれがヒラヒラの金魚〜!」
逃がした魚は何とやら…で、すくえなかった金魚を諦めきれないあかねは、友雅の浴衣の袖に腕を絡めながら、恨めしそうに彼の手元を見る。
「良いじゃないか。ちゃんとこうして、同じようなものが捕れたんだし。」
「それは、友雅さんが捕ったんじゃないですかー!」
大体、はじめて金魚すくいをした友雅が3匹も捕って、子供のころから挑戦している自分が、ひとつも捕れないなんてどういう事だ?
そりゃあ昔から、自慢出来るほど得意だったわけではない。
けれど、友雅を祭りに誘ったのは自分の方だし。
こちらの世界にやって来て、初めて夏祭りを経験するであろう彼に、威勢良く案内していた自分の立場は…。
「何かもう…格好悪いなあ。」
自分が不器用なのか、それとも友雅が器用過ぎるのか…。
答えは後者の方が確率高い。
悔しい気もするけれど、彼じゃ仕方が無いかな、という諦めもある。
敵わないのだ、いろいろな意味で。


参道を抜けて、神社の裏門へ。
人混みで賑わう表通りとはガラッと変わって、神社独特のひっそりした森を背にした、薄暗く細い道。
彼の腕に寄り添って歩くたびに、ポチャポチャ…という水の音が足音に重なる。
灯籠が長く続いている道の、真ん中くらいに差し掛かった時だった。
急に友雅が立ち止まったので、必然的にあかねの足も底で止まる。
「どうかしました?」
覗き込もうと首を少しかしげた時、頬にひんやりした感触が走った。
金魚の入った水入りの袋だ。
「君にあげるよ。」
狭いながらも、金魚は袋の中で自由気ままに泳いでいる。それを、友雅はあかねの前に差し出した。
「い、良いですよ!それは友雅さんが捕ったんだから、友雅さんのものですよ!」
「そう言われても、あれだけ物欲しそうに悔しがってるのを見るとねえ…」
くすくす笑いながら言う彼の言葉に、あかねはかあっと顔が赤くなった。
そんなにまで、執拗に騒いでいるように見えたのか…。
まるで、おもちゃを欲しがって、駄々を捏ねる子供みたいじゃないか。
確かに…捕れなくて悔しかったけれども…。

「とにかく、私なんかよりも、欲しがっている人のところに行った方が、魚たちも喜ぶと思うよ。だから、君が持って帰りなさい。」
「でも……」
金魚の袋を握ったまま、踏ん切りの着かないあかねを眺めつつ、友雅は彼女の肩にそっと手を乗せた。
「じゃあ、物々交換なら構わないかい?」
「物々…交換?」
「そう。君の欲しかった金魚を譲るから、代わりに私の欲しいもの、くれるかい?」
友雅の欲しいもの…。そんな、高いものを要求されても困る。
夏場は何かと物入りが多く、出費もかさんでいる真っ最中。
デート資金は大概は友雅持ちだが、それでも懐具合は豊かとは言えない。
「予算でどうにかなりそうなものなら…」
あかねが答えると、彼はその返事に満足げに微笑んだ。

彼の手は、ごく自然にあかねの背中へと回され、腰に結んだオーガンジーとレースの帯に触れる。
「私はその金魚よりも、こちらの金魚の方がずっと興味があるんだよ」
彼女が動くたび、ふわりと舞うが如く揺れる帯。
夜の闇と燈籠の明かりを透かして、幻想的に浮かび上がる。
それはまさに、彼女が追いかけていた金魚の尾のようで、優雅でもあり艶やかでもある。
「ひらひらした尾に、惹かれる気持ちが分かったよ。…私だって…欲しくなる。」
「きゃああっ!耳元で、そんなこと言わないで下さいよぅ!!!」
耳朶にかすかに息が触れて、くすぐるように聞こえる低く甘いトーンの台詞。
全身が熱くなって、あちこちが脈打ち始めて……次の瞬間。
目の前が真っ暗になった。

今の今まで、きらきらした水の中でたゆたう、金魚の姿が目に映っていたのに。
そして、息も出来なくなった。
彼の唇で塞がれて。

一瞬の出来事のあと、何事も無く目の前が明るくなる。
「はい、交換条件成立。」
友雅はそう言って微笑むと、再び自分の手の中にあった金魚の袋を、もう一度あかねに手渡した。
「私の希望するものは頂いたから、金魚はもう君のものだ。」
「は、はあ…?」
え、もしかして…彼が言っていた交換条件での要求って、今のキス?
普段だったら、触れるまでの時間も触れたあとも、ドキドキして仕方が無いのに、今回は何となく拍子抜けな気がしないでもなく。
どうしてなんだろう、と考えて…さっきの友雅の言葉を思い出してみて、また顔が赤くなった。

「期待はずれ、って顔をしてるね。」
「えっ?な、何がですか……っ!?」
「それ以上のことを求められてる、とか思ってたのかな?」
「そんなこと、あるわけがないじゃないですかーっ!!!」
ムキになって否定すればするほど、力が入って顔も赤くなって。
どこまで彼女が想像していたかは分からないけれど、何だかその素直な反応がとてつもなく微笑ましく思える。
わざとこちらが、本能から一歩退いている事には、彼女は気付かないだろう。



神社からも遠ざかり、祭りを行き交う人の姿も乏しくなった路地裏を歩く。
「ねえ友雅さん、1匹くらい飼ってみません?」
3匹も飼うことは大変かもしれないが、1匹くらいなら大きな水槽もいらないだろうし。
広い和室のある彼のマンションには、こんな夏の風情がよく似合うだろう。
「でも、私は金魚の飼い方なんて、よく分からないよ?」
「そんなの簡単ですよ。毎日決まった時間に餌をあげて、週に一度くらい水を替えて…あ、水は真水じゃなくて、少し置いてからのものを…」
「聞いているそばから、難しそうだな…」
小さい魚だからこそ、繊細な気もするし。
最悪の状態になったら彼女もがっかりしそうだし、手抜きなど出来ない。

「じゃあ、これから家においで。そこで、目の前でちゃんと教えてもらうよ。」
「え、これからですか!?」
時計を見ると、既に9時を回っている。
徒歩圏内でも友雅のマンションまでは、余裕で20分くらい。
そこからあかねの家までは、車で10分、歩いて25分。こんな時間に外をウロウロする時間じゃない。
「簡単だからって、今説明したばかりですけどー…」
「君にとってはそうだろうけど、私には全く知識のないことだから。ついうっかり…ってことも有り得るし。」

……本気で言っているんだろうか。
さっきの言葉も、まだ気にかかってるし。
何か他の意図がありそうな気が、しないでもないのだが。
疑いの色が消えないあかねの表情を見て、友雅はさっきと同じように、彼女の耳朶に吐息のような台詞を告げる。
「小さな金魚たちを助けると思って、一緒に来てくれないかな?」
「ひゃ!わ、わかりましたよっ!行きますよ!おじゃましますよ!」
一言一言、吐息みたいに吹きかける言葉を、何度も言われたら腰が抜けそうだ。
承諾せざるを得まい。

だが…。
そこであかねは、はっとした。
「あ、あのー…友雅さん?」
こつんと彼の肩にもたれて、彼の様子を伺う。
「友雅さんがさっき、欲しいって言ってたのは…ホントにそ、その…キ、キスだったんですか…?」
「違うと思ってるの?」
「だって…」
直接問い詰めるのは、気恥ずかしくて言えないけれど…。

「じゃあ、もし違うとしたら…何だと思う?」
頭の上で、甘い声が降り注ぐ。
夏の夜風は少し涼しく感じるけれど、彼の腕の中では涼しさなんて感じられない。
彼の欲しいものは、何?
彼女にしかない、彼女でなくてはならないもの。
「当ててごらん。朝が来るまでは、十分時間があるしね。ま、出来るだけゆっくりと、答えを探すと良いよ。」
「な……っ!」
真っ赤な顔をして上を向くと、友雅と視線がぶつかって。
微笑みのまま、彼はあかねの額に唇を当てた。


数分間彼女を抱きしめていた腕を解き、一歩先に友雅は歩き出す。
背を向けているけれど、あかねが動揺している表情は一目瞭然。
おそらく鼓動も、早まっているはず。
駆け引きに身を投じていた頃には、分からなかった感覚。
素直な恋愛は、いつも瑞々しくて…そのたびに楽しくて、そして愛しさを覚える。

一度だけ後ろを振り向いて、友雅はあかねを見た。
「そうだ。うちには水槽はないけれど…泳ぎたくなったのなら、私の胸を遠慮なく貸してあげるよ?」
「ど、どう言う意味ですか、それはっ!!」
艶やかな彼の微笑みが、りんご飴みたいに赤くなっているあかねの顔を見つめる。
友雅が、手を差し伸べた。
その手に捕まろうとした時、ぐっと手前に引き寄せられたあかねは、そのまま友雅の胸に転がり込んだ。

「水槽なんかより…この腕の中で泳ぎなさい。……金魚のように愛らしい、私の姫君…。」
「…ひゃ〜っ!」
びっくりしてじたばたして。頬を赤らめながら、緩やかにその帯を揺らして。
まるで網にかかったときの、金魚そのものだな…と友雅は思いながら口付ける。

果たして、こちらが本当に希望しているものが何なのか、彼女が気付くのはいつだろう?
気付いているかも知れないが、それを納得させるには、もう一息。
条件は、既に満たしている。そこに、あかね一人がいれば良い。

"やっぱり、泳がせてあげるしか…ないかな?"
自由に水の中を泳ぐ金魚みたいに、この腕の中で。

小さくなって抱きしめられている彼女のぬくもりを、感じながら友雅は心で独り言をつぶやいた



-----THE END-----



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2008.08.13

Megumi,Ka

suga