星のかけらを探しにいこう

 001
機嫌を損ねてしまった。
すっかり馴染んだと思っていたはずなのに、今までとは違うこの世界での生活に溶け込むには、まだまだ時間が必要なようだった。
気楽に行きようとしてみても、時間毎に変化する忙しい町中を眺めているとそうも行かない。
幸い、和楽器の講師という職を手にしたことにより、生きて行くための最低限の術は確保したが、何よりも大切な姫君が不服そうな表情を浮かべていては、どうにもこうにも落ち着かない。


こんな出来事があった。
その日も講師の仕事のために、友雅は郊外にある屋敷に出向いていた。

その屋敷の主は和楽器の名手で、一般の者にも琴や三味線などを教えていた。
そんな主人に今は亡き詩紋の母が琴を習っていたというささやかなつながりで、友雅の琵琶の腕前を魅入ってもらい、彼は同じ屋敷の中で数人の生徒に琵琶の講義をすることを仕事としていた。
しかし、ピアノや学習塾とは違い、和楽器というものを習いにやってくる人間の階級というのは、やや普通のレベルよりも上に住んでいる者が殆どであり、そして大概は女性である。

本来、雅やかな和楽器を奏でるという行為を、京で生まれ育った友雅が自然に立ち振る舞えるのは当然のことではあるのだが、この近代的な現世で生きる人々の目には、その身のこなしが優雅で新鮮に映ったのだろう。
元々京の世界でも華やかな逢瀬を楽しんでいた友雅に、目を奪われる者・心を惹かれる者は多発した。
だが、本人にその気が全くないとしても……傍目からその光景を見ている彼女にとっては、面白くなかったに違いない。

その日、押し掛けてきた生徒の一人を、家に招き入れてしまった。
だからといって何があったわけじゃない。昔の友雅ならいざ知らず、今はたったひとりの姫君しか目に入らない。
しかし、不運な偶然が重なりすぎてしまった。
しばらくお茶を楽しんだあと、彼女を玄関ロビーまで送っていったその場で、あかねと鉢合わせになってしまったのだ。
こちらとしては全く後ろめたいことなどなかったのだが、どうやらあかねはすんなりと現実を理解してくれなかったらしく、それっきり会っていない。

一週間が過ぎようとしている。たった七日。
愛しい相手に会えない七日間が、こんなに辛いとは思ってもみなかった。


■■■


「なあ、今年も祭り行くんだろ?」
放課後、帰宅の用意をしていたあかねに、天真が声をかけてきた。あかねは壁に掛かったカレンダーを見る。
「ああ、もうそんな時期なんだ……」
ため息のように独り言のように、つぶやく。

あかねたちの町では、毎夏二日に渡って七夕祭りが行われる。
大がかりな祭りではないけれど、小さい頃から親しんできた馴染みのある祭りだ。
夜空に花開く打ち上げ花火、ぼんやりとほおずき色に浮かんだランプの明かり、賑やかな子供の声が夜遅くまで響く、そんな日が待ち遠しかった。
「何時に落ち合う?あとで詩紋にも連絡しといてやるからさ。」
友達同士で出掛ける祭りの楽しさは、何事にも代え難いものだと思っていたのだけれど。
でも……友達との遊びに着ていく装いにしては、少し手の込んだものをあかねは用意してしまっていた。

+++++

今日もまた、あかねの声を聞くことは出来なかった。
学校で用事があるから、とあかねの母は電話の向こうで言ったけれど、それが虚言というくらいは友雅にも分かった。

どうすればいいだろう?
こんなにも星と月が輝く夜なのに、彼女の声が聞こえない。彼女の笑顔に触れることが出来ない。
美しいと思うものを、愛しい人と眺めることこそが喜びだと知ったばかりなのに、彼女との距離は一日一日離れていってしまうような気になる。

あかねに会うことがなかったら……自分はここにいなかっただろう。
そして、それぞれに二人は違う世界で生きて行っただろう。
あかねは自分とは違う男と出会い、そして恋に落ちただろう。自分だって京の世界に残り、飄々とした生活が続いていたに違いない。
運命という言葉があるとするのなら、出会った偶然も運命の一つかもしれない。
恋に落ちたことも、運命の一つであるのなら………。
部屋の中でじっとしていることにも飽きて、ふらりと友雅は外へ出掛けることにした。

+++++

エントランスロビーから出ると、丁度階下に住む子供達とすれ違った。小さな手で、大きな笹の細竹を担いでいる。
「ずいぶん重そうなものを持っているね。そんなものをどうするんだい?」
普段はあまり子供に声などかけないのに、ふと友雅は自然に彼らに話しかけてしまった。
「七夕の飾り付けするから、お兄ちゃんとお友達のところからもらってきたの!」
竹自体は細いものだが、枝が大きいので二人がかりでないと子供には重い。
「七夕?この竹に、どんな飾り付けをするのかな?」
「おじさん、知らないの〜?金色の紙でわっかをつないで飾ったりするの。それから色の付いた折り紙とかで短冊を作って、そこにおねがいごとを書いて飾るんだよ。そうするとね、願い事が叶うんだって」
ふと彼らの視線の高さに目を移動させると、手に持っている大きな紙袋の中には、彩り鮮やかな千代紙などが詰まっていた。

「そんなに大きな竹は重いだろう?私が君たちのところまで竹を持っていってあげよう。」
「え?ホントー?」
子供達は、無邪気な歓声をあげた。
本当に今日は、どうかしてる。自分らしくない行動に、友雅も少し戸惑った。


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たどたどしい字で短冊に願い事を書き連ねる子供達をよそに、階下の町の賑わいを友雅は眺めていた。
眠りを知らない、明るすぎる町。目を閉じても、うたた寝さえ出来ない喧噪の音が聞こえ続ける世界。そんな中でも、彼女の声なら聞き漏らしたりはしないのだけれど、声は…聞こえない。

色紙で飾られた竹の笹に、子供達はそれぞれの思いを記した短冊をくくりつけている。
「ねえ、おじちゃんは書かないの?願い事とかないの?」
一人の少年が、いつのまにか友雅のそばにやってきていた。
「ああ、ないわけじゃ…ないんだけれどね」
友雅は笑った。
こんな小さな子供に言ったところで、分かるハズなどないのだから。友雅の願い事は-----。
と、彼が手に持っていた赤い紙の短冊を、友雅の目の前に差し出した。

「これ、おじちゃんにあげる。書いて持ってきたら、この笹にくっつけてあげる」
詠んだ歌を書くのには粗末な薄っぺらい紙。
短冊とは名ばかりの、単なる色紙でしかないけれど、この紙に書いた願い事がもしも叶うのならば……。
「それじゃ、あとでね」
手の中に握りしめた短冊に願い事を。
たったひとつの願い事を叶えてくれと、柄にもなく友雅は夜空の星に願いをかけたくなった。


■■■


大きな綿菓子を、詩紋とちぎって食べながら神社の参道を歩く。
金魚すくいやゲームの屋台、はしゃぎまわる子供たちの声に祭囃子が紛れながら聞こえる。
毎年こんな風にして、夜遅くまで遊び回って。屋台の焼きそばをつまみあって、ヨーヨーつりやお面なんかを買ってみたり。
子供の時から変わらない、楽しい一夜。

でも、そんな中でも目が追ってしまう。浴衣姿で歩く恋人達。
彼のためにと仕立てたような、華やかな花火模様の浴衣を着て、腕を組んで祭りの人混みを歩く二人。
好きな人が出来たら、あんな風に出掛けられたらいいのに…なんて、ずっと思っていたのに。

ずいぶんと長い間、友雅をすっぽかしているなあ、とあかねは我に返った。
そりゃあ、会いたい。顔を見たいし、一緒の時間を過ごしたりもしたい。
だけどどうにも素直になれなくて、気を緩めるタイミングがつかめないのだ。
友雅が言ったように、あの時に見かけた女性とは何でもない関係なのだろう。
でも、だけど、強情になって。

なんでそんなに意固地になるんだろう…と考えた。
自分が友雅とは釣り合わないから?子供過ぎるから?
あの時見かけた女性は…贔屓目に見ても20代後半。30代はじめの友雅とは、丁度絵になるくらいの年齢で……。
もしも客観的に見たら、きっとあんな女性の方が友雅と一緒にいるのが似合う。自分だったら…単なる子供にすぎないだろう…友雅はあくまで大人の余裕を蓄えているのに、いつまでたってもその距離は埋まらなくて。
こんな風に意固地になっていることからして、子供過ぎるんだ。だからダメなんだ。分かっているけれど。
でも…それでも好きでしょうがない。会いたくて、会いたくて、毎日が辛いのに。

「あかね、何ぼんやりしてんだよ!」
天真に肩を叩かれて、はっと我に返った。屋台のたこ焼きのソースの匂いが、鼻をくすぐった。
「心、ここにあらずってところだな。友雅と一緒ならいいのに〜とか、考えてたんじゃねーのか?」
「て、天真くんっ………!!」
図星をつつかれて、あかねは声を上げた。天真はそんなあかねを見て、にやっと笑った。
「意地っ張りは可愛くねえぞ?会いたいんだったら、会いに行った方がいいんじゃねーか?あいつだって会いたいと思ってるぜ、きっと」
あかねは天真の顔を見てから、そのあとに隣にいる詩紋の顔を見た。
目が合うと、にっこりと青い目を伏せて笑った。
「会いに行ってあげたほうが良いよ。あかねちゃんが会いに行ったら、きっと友雅さんも嬉しいと思うよ?会いたいんでしょう?」

二人は…知っていたのだろうか。今のあかねと友雅の状態を。
ずっと一緒にいた友達だから、どこかの隙間をぬって聞きつけたのかもしれない。
だけど、何があったのかなんてことは聞かなかった。ただ、会いに行った方が良いと、二人が声を揃えた。

「ごめんね…これから友雅さんのところに行っても…いいかな……」
あかねは少し顔を伏せて、照れくさそうに尋ねた。
「おお、構わねーぜ。俺らは男同士、気ままに楽しむからさ。おまえは友雅とラブって来い!!」
「ラ、ラブって来いって……☆」
頬がぼんやりと染まるあかねに、天真はけしかけた。
「おばさんに、今夜は外泊って言っとくか?」
「ば、ば、ば、ばかなこと言わないでよーーーーーーーーーーっ!!!!!」
林檎あめのように真っ赤に顔を染めたあかねは、天真に食ってかかる。そして天真は笑いながらあしらって、あかねの背中を参道の方へ押した。

「取り敢えず、行って来い。辛気くさい顔を見てると、こっちまで辛気くさくなっちまうからさ。友雅によろしく言ってくれ」
こういう時、信じられる親友の大切さが分かる。
友雅の次に大切な他人。友達の二人。
あかねは彼らに背を向けて、友雅のマンションの方へと向かった。


■■■


何度か訪れたことのある友雅の住むマンション。夜だというのに、白い壁と高いたたずまい。目印がなくても迷うことはない。
「現代の人だってこんなところ、滅多に一人でなんて住めないのにねー……」
マンションのエントランス前に立って、あかねは独り言をつぶやいて建物を見上げた。
10階建て鉄筋コンクリート。9階の角部屋にある友雅の部屋には明かりが灯っている。
ここからは人影も見つけられない。上がらなくちゃ、逢えない。

「ここまで来ちゃったからには…帰れないよねぇ…」
なかなか先に進まない自分の足を、うらめしく思いながら何度も頭の中で繰り返す。
会いたいんだから、会いに来た。ただ、それだけの意味でここに来てしまったのだから、会わなかったら意味がない。こうしていたって仕方がない。
深呼吸をして、ため息として吐き出そうとした息を吸い込んで、あかねはエレベータホールへと足を向かわせた。

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少年からもらった短冊を、じっと眺める。願い事を書けば、叶う。そう少年は言った。
そんなことは迷信だと知っているけれど、叶えたい願いがあるうちは…こんな遊びにも付き合いたくもなる。
友雅はテーブルの上にある筆ペンのキャップを外し、文字をしたためることにした。

「………こんなことを願うようになるとはね。私もすっかり引き込まれてしまったようだ……」
文字を書こうとして、めぐらせる笑顔と思い出す彼女の声。握りしめた手のぬくもりと、甘酸っぱい香り。
いくらだって思い出せるのに、その手を握ることが出来ないもどかしさ。
そう、願いを叶えてくれるなら、彼女に会いたい。会わせて欲しい。
筆が短冊に降りようとした、その瞬間。

ピンポーン。

玄関の呼び鈴が部屋に響きわたった。



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Megumi,Ka

suga