物語は続いてく

 001
ガタン!
バタン!
ゴロッ………!

けたたましい音が二階の部屋から響いてきた。慌てて友雅は階段を駆け上がり、突き当たりにある白木のドアを開けた。
「……どうしたんだい?騒々しいね。とても一人で片づけをしているとは思えない音だったよ」
呆れたように、しかしこの上ない愛しい者を見つめる優しく甘い瞳で、友雅は部屋の隅で転げているあかねを見下ろした。
「…ちょっと…気を取られてたら手を滑らせちゃって…★痛〜っ★」
古ぼけた紙の箱が、あかねの周囲に崩れ落ちている。蓋が開かれ、中身があちこちに散らばっていた。
「これは…何だい?」
友雅がひとつの小さなノートを手にした。同じようなものは、あと5冊はあるだろう。どれもこれも、穏やかなセピア色をしている。

「これね、あたしが幼稚園の頃にお絵かきしたノートなんですよ」
あかねは一冊を手に取り、懐かしそうにパラパラと中をめくった。
「今見ると、超へったくそなの。笑っちゃうくらいにね。全然何を描いているかわかんないくらいにめちゃくちゃなんだもん」
無地のノートには、色とりどりのクレヨンが色彩を散りばめている。おぼろけな輪郭…デッサンなどは皆無に近く、ただ自分の目に映る形だけを信じて描いた落書きの集大成。
「でも、懐かしいから……。何か、捨てられなくて。もう邪魔なだけなのに…」
一枚一枚の紙の角はすり減って、中には破けかかっているページさえある。
もう何の利用価値もなく、邪魔な荷物でしかないものばかりだけれど、どうしても捨てる勇気がない。

友雅は黙ったまま、あかねのノートをじっくりと一ページずつ眺めた。
そして、静かにつぶやいた。
「捨てたりなどしちゃいけないよ。これは……君の歴史のひとつだろう?二度と手に入ることのない、幼い頃の君自身の証だ。大切にしなくてはいけないよ」
あかねは、やや呆然として友雅の顔を見た。
人間に対しても物に対しても、深く思い入れることなどないと思っていた友雅から、そんな言葉が出てくるとは思ってもみなかったからだ。
「だって、邪魔じゃないですか…ただでさえこの家、そんなに広くないのに……」
ぱたん、と友雅はノートを閉じる。そして、それをあかねに差し出した。
「私にとっては、君の存在が何よりも大切で何よりも大きい。その君の存在した記憶が、この中にはあるんだ。私は……そんな重要なものをおろそかにはしたくないよ」
友雅の手が、あかねの髪をそっと撫でた。
優しく、静かに、指先を滑らせては悪戯半分にあかねの唇をつついた。
「大切にしなさい。どんなことがあっても、それはきちんとしまっておくんだよ」
お小言を言うような友雅の口調に、あかねは笑ってうなづいてノートを束ねた。


散らばったノート全部をきちんとそろえて、もう一度箱の中にしまい込もうとしたとき、一冊をさっきから友雅がじっと読んでいるのをあかねは発見した。

「ああっ!それはダメっ!」
慌てて取り返そうとするが、身体ごと友雅の片腕で抱えられて身動きが取れなくなる。
開かれているページには、さっきの落書きではなく文字がしたためられている。

『わたしのゆめは、だいすきなひととけっこんすることです。きれいなおよめさんになって、おむこさんにおいしいおりょうりをつくってあげることです。』

揺れるようなぎこちないひらがな文字で、懸命に文章を書こうとしている小さな子供の字。それでも節々の筆圧の癖から、それがあかねの字だと言う事は判明できた。
幼稚園のころ……将来の夢を聞かれて描いたものだろう。
「可愛い夢を描いていたんだね、このお嬢さんは……」
くすくす笑いながら、友雅はそのページを読みふけった。
「こ、子供の言うことですからねっ★真面目に受け取らないでくださいねっ!」
真っ赤な顔であかねが否定するように言ったが、友雅は答える。
「じゃあ、この子の今の夢はどんなのなんだろう?……好きな人と結婚することは、もう夢じゃないのかな?」

……何度も何度も、字を書き直して同じ事を書いた。
友達がみんな、歌手になる、スチュワーデスになる、看護婦さんになる…などと書いていた中で、あかねの夢はいつまでたっても、そんな他愛もないものだった。
だけど、それが一番大切なことだということ。
色々な職業に憧れたりしたけれど、だけど………ずっと思い続けていることは同じ。
大好きな人と一緒に生きること。

「……いえ…多分……今もきっと同じ事考えてるハズ……。でも……きっともう良いんですよ…。その夢、叶ったみたいだから」
照れくさそうに言いながら、あかねは友雅の視線から顔を反らした。
「良かった。それが一番私の気になっていたところだったんでね」
目を合わせなくても、きっと彼は優しくこちらを見ているはずだ。そんなことも、いつのまにか直感で分かるようになって。
彼から流れ出てくる存在の気を、身体全体が直感で理解できるようになって。

「丁度良い広さ、だね。この家は」
自分たちのいる部屋を、ぐるりと見渡して友雅が言った。
運び込まれた荷物を詰め込まれている段ボールたち。紐解かれていない家具が並ぶ。それ以外に目立つのは、生成色のファブリックで包まれたベッドマットレスのみ。
洋間8畳程度。決して広いとは言えないが、ここが二人だけで過ごせる部屋だ。
「私たちじゃ、これ以上大きい家なんて借りられないですよ…。マンションとかならあるかもしれないけど…でも、やっぱり…小さくても自分だけの家が良いでしょう?」
「何をしても、誰も邪魔されないから?」
どんなことを想像したのか知らないが、さっき以上にあかねの顔は真っ赤に染まって、今にもショート寸前という感じだ。

二人で生きていくために、二人だけの家を見つけた。
二人で生きていくことを決めたから、生活する場所を見つけた。
新しい歴史が生まれる場所を。
かけがえのない二人の時間を、永遠に刻んでいける場所を。
何もないけれど、彼がいるだけで良いから。彼女がそこにいれば、それでいいから。

友雅はあかねを抱き寄せる。その身体の重みをあかねは受け止める。
ほどけない腕の力で抱きしめられて、押し寄せる唇を笑顔でキャッチすることも慣れた。
幸せの流れに身をまかせて…………。
お互いの存在を確認し合うために、つなぎあった手はほどけない。


「ねぇ友雅さん、十年後ってどうなってるかなぁ…私たち」

友雅の腕の中で、彼の吐息を耳元で受け止めながらあかねがつぶやいた。
「友雅さんは…お父さんになってるのかな…。私はお母さんになってる…かなあ。子供、何人いるんだろうね……。犬を飼ってもいいな…猫でもいいけど……」
真っ白な天井を友雅の肩越しに見上げて、近いような、遠いような未来を思い描いてみる。
これからの二人が、どうなって行くのか。ぼんやりと遠くに目をこらす。

「どうなるか……確かめていけばいいさ。これから二人で……ね。」

重なり合った甘いキスから、感じる。
あの日の夢が、現実になったことを。

『だいすきなひとのおよめさんになること』





-----THE END-----




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