雪の匂い・君の薫り

 001
その日の朝、驚くくらいに早く目が覚めた。カーテン越しに光が射し込んでいて、天気が良いことくらいはベッドの中でもすぐに分かった。
あかねは毛布にくるまったまま、そっとレースのカーテンを開ける。
「うわぁ……」

窓の向こうに広がっていたのは、太陽の光に照らされて一面に輝く雪景色だった。


■■■


約束の時間まで、あと一時間以上もある。着替えも早々に終わってしまった。
カレンダーにハートの印を付けた日曜日。今年最初の友雅とのデートの日。
二週間ぶりにやってきた、今年最初の二人の時間を、どうやって過ごそうかと数日前からあれこれ悩んで、その度に天真や詩紋たちにからかわれたりして。

着ていく服は勿論のこと、デートスポットのチェックもしっかりと済ませたつもりだ。
この現代でのエスコートはあかねの役目なのだから。

「どうしようかなぁ…用意は既に万全なんだけどな」
大きめのミラーに全身を映して、あかねはもう一度自分のスタイルを見直してみる。髪の毛も朝シャンしてトリートメントしてブローも完璧だし、お気に入りの赤い石がついた小さなイヤリングもつけた。時計も時間にぴったり合わせた。
お正月のバーゲンで買ったとは言え、ミルキーオレンジのスリーピースのニットはご贔屓のブランドだし、ブーツもお揃いのカラーでトータルコーディネートはOKだと思う。
そして一番お気に入りの、赤いベルベットのハンドバッグ。実は去年のクリスマスに、友雅に買ってもらった大切なものだ。

「うん、我ながらバッグに似合うスタイルに仕上がったよね♪」
にっこりと笑顔の練習をしてみる。
友雅が好きだと言ってくれた、最高の笑顔で逢えるように。


■■■


待ち合わせは確か、駅前の道沿いにある公園だったはずだ。あと一時間ほどある。
窓から眼下の雪景色を見下ろすと、マンションの前の広場で子供たちがじゃれ合っている姿が見える。

「いつの時代も子供たちは寒さも気にしないようだ」
友雅は彼らの姿を微笑ましく想いながら、そう独り言をつぶやいた。
あかねの手を握りしめたまま、この時代にやってきて時間が流れて、やっとそのスピードについていけるようになった。
新しい年がやってきて、生まれ育った時代と同じ雪が降り、そして彼女とともにこれからも時間は流れて行くのだろう。

トルルルルル…………。

友雅は窓際から離れて、電子音を響かせる電話機へと向かった。

『もしもし?おはよう!友雅さん』

愛しい少女の声が受話器の向こうから聞こえてくる。
「どうしたんだい?まだ待ち合わせの時間には、随分と間があるんじゃないのかい?」
もう一度時計を確認してみる。現在の時刻は午前十時。
約束の時間は十一時のはずだったが、慣れない時計の仕様に時刻合わせでも間違ってしまったのだろうか。
『うん、そうだよ。まだ早いんだけどねー…』
「私に逢いたくて、時間が待ちきれなかったのかい?」
『…………』
しばらくの沈黙。その間、あかねがどんな表情をしているのかが分かる。
おそらく頬をほんのりと桜色に染めて、少しだけ目をきらりと潤ませて。
そんな表情がどれほど友雅にとって愛らしいものか。
思い浮かべると笑みがこぼれる。

「それで?今どこにいるんだい?」
『あ……う、うん…ちょっとそのままベランダに行って、下を見てみて』
あかねの言うとおりに友雅は子機を片手に携えたまま、こんどはさっきと反対側の窓にあるベランダへと出た。

冷たい風と眩しい太陽の光を受けながら下を見下ろす。小さな子供たちが数人。
そしてその中で、携帯電話を片手に大きく手を振るあかねがいた。
「待ち合わせの場所を間違えたのかい?」
『違うの。早めに用意出来ちゃったから、友雅さんのところに迎えに行っちゃおうかなーって思って。そしたら………うわっ!』
「あかね!?」

突然会話が途切れた。
どうやら声はわずかに聞こえるのだが、遠くてよく聞き取れない。
仕方がない。友雅はコートもはおらずにそのまま部屋を飛び出した。


■■■


友雅の部屋はマンションの六階。
普段ならエレベーターを使って移動するのだが、その待ち時間も今はうざったいと思う。一気に階段を駆け下りて、あかねがいた広場への通用口を開いた。

そのとたん。
鈍い音と同時にひんやりとした冷たいものが、友雅めがけて飛んできた。
「やった!命中〜!!」
雪の粒を払いのけると、子供たちに紛れてあかねが雪玉を手に微笑んでいた。
そんな彼女の身体にも、白い雪があちこちに付いている。
「ほら!友雅さんもぼんやりしてると狙われちゃいますよー!」
「何を…私が子供たちに恐れをなす男だと思うかい?」
少年の投げてきた雪玉をさらりと交わし、即座にすくった雪の玉を彼らの背中に投げ返す。
「やったー!友雅さん、さっすが!」
宙を飛び交う雪の玉が光にさらされ、きらきらと輝いている。子供達の笑い声と、そこに溶け込んでいるあかねの笑顔。

こんな風に何も考えずに、ただ無邪気に時間の流れのままに過ごしたのは何年ぶりだろう。
そんな他愛もないことさえ忘れていた。あかねがそばにいなかったら、彼女と出会うことがなかったら、もう二度と思い出す感情じゃなかったのかもしれない。


それからどれくらいの時間が流れただろう。
子供達はそれぞれの母親たちに呼びつけられて、雪だらけの姿のままで自分の家へと帰っていった。あかねは彼らに向かって、ずっと手を降り続けていた。

「思いがけなく暴れてしまったよ…年甲斐もなく」
雪の上に腰を下ろしたまま、乱れた髪をかきあげて友雅は苦笑した。
「あはは、全然大丈夫ですよ、友雅さん強いじゃないですか!」
「子供の頃以来だよ。君と付き合っていると、昔に戻ってしまいそうになる」
それは悪い意味ではなくて、今まで忘れかけていた素直な想い。
心のままに生きること、思うままに愛すること、年を取るにつれて抑え込んでいるうちに忘れてしまったことばかりだ。
「たまには楽しいでしょ?」
「…たまには、だけどね」
友雅は笑った。


時計のアラームが鳴り出した。時報の合図だ。
「あ、今丁度ぴったり十一時。待ち合わせの時間だ」
手首にはめた文字盤を、あかねは友雅に見せた。
「それじゃ、これからデートの始まりだ」
そう言って友雅はあかねの身体に手を回し、そっと抱き上げて立ち上がった。
「えっ☆ど、どこに連れて行くつもりなんですかぁっ!!」
あかねは頬を染めて、友雅に言う。
「雪だらけになって冷たくなった服のままでは、どこにも出掛けられないだろう?外出は中止だ。取り敢えず私の部屋においで」
「ええっ☆で、でもっ☆☆」
じたばたするあかねに顔をそっと近づけて、もう一度友雅は囁くように耳元で言う。
「服が乾くまでの辛抱だよ。…でも、ずっと乾かないままでもいいかもしれないね?」
言葉にならない声を上げながら、あかねは顔を真っ赤にして友雅にしがみついた。しっかりとその華奢な身体を抱き留める。

「…友雅さんの薫りがする。京にいたときから、ずっと変わらないね…」
胸の中に顔をうずめながら、ぽつりとあかねが言った。
「君からは、まださっきの雪の薫りしか匂わないようだ。君の本当の薫りが感じられるまで、今日は帰したくはない気分だね」
「ひゃぁ〜〜☆☆☆」
あかねは更に顔を赤らめて、友雅にしがみついた。
「私は本気だよ?」
ぎゅっと力を込めて抱きついたあかねの髪に、友雅はそっとキスをした。





------THE END-------




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