Rose with Rose

 01

「あかね、そろそろ出掛ける時刻だよ」
開けっ放しの寝室のドアから中を覗くと、彼女は姿見の前で服の乱れをチェックをしている。
右を向いたり、左を向いたり。すそを翻して後ろ姿を映してみたり。
「ねえ友雅さん、どこか皺とか寄ってたりしてません?」
「大丈夫。私の姫君に死角などありはしないよ」
ふわりとした小花柄のシフォンワンピースは、マキシ丈だからあまり子どもっぽさはない。
上から羽織る黒のレースカーディガンが、甘さを程よく引き締めてくれる。
梅雨だというのに、今日の空は青が目立つ。
白い雲は多いけれど、雨を含んでいるような雰囲気はなく、だから夏らしい装いもしっくりハマる。

「初めて袖を通す服だね。今日みたいな日には、よく似合う」
「えっ、これ新品って分かったんですか」
友雅の言葉に、あかねは少し驚いて振り返った。
分かったもなにも、クローゼットの一番奥に、カバーが掛けられて釣り下がっていたワンピース。
普段着よりも少し洒落た場に合うデザインのそれを、あかねが身につけていたことなど一度もない。
「そうです。先月お店のバーゲンで見つけて、買っちゃってたんです」
春物セールの片隅で、夏服の先取りバーゲンコーナーに並んでいたもの。
「デートにもぴったりですよって、店員さんにも勧められちゃって」
「ふふ、なるほどね。確かに、エスコートしたくなる」
そう言って友雅は、あかねに手を差し出す。
彼女の手を取り、ゆっくりとした足取りで寝室の外へと誘う。
「さあ、行こうか。待たせたらあとから文句を言われそうだからね」
部屋の照明と電源を落として、玄関のドアを開ける。
夕べの雨の気配がまだ残っていて、外はやや蒸し暑さを感じるけれども、目の前にある腕に寄り添うことは止められない。



新しく出来たばかりのエアポートターミナルビルは、多種多様なテナントが軒を連ねている。
ここ最近は観光スポットとして取り上げられることも多く、空港使用者以外の一般客の足も増える一方だ。
ターミナルビルのサウスタワーのホテルが、帰国した際の彼女たちの定宿。
いくら鷹通が独り暮らしとはいえ、息子のマンションに泊まり込むというのは気が引けるらしく、こうして日本にいる間はホテル住まいとなる。
ホテル内のレストラン。予約を入れておいたのは、やはりイタリアン。
本場で暮らしている彼女たちだが、こちらのイタリアンはやはり日本人の舌に合わせているので、美味しさが微妙に違うのだそうだ。

「それでねえ、色々雑誌買ってみたのよ」
オーダーを済ませて、しばし歓談の時間。
彼女はビル内の書店で見繕った雑誌を、テーブルの上にずらりと並べた。
地域情報紙、タウン誌、観光スポットガイド…エトセトラ。
「しかし、失礼ながらこの雑誌はちょっと、年齢不相応ではないのかな」
友雅が指差したのは、若手女優がモデルになった表紙。
確か20代前半くらいと聞いたことがあるので、その彼女がカバーを飾るということは、雑誌の対象年齢はそれくらいだろう。
「失礼なこと言うわねえ。女性相手のお仕事している人が、言う言葉じゃないでしょうに」
「もっと貴女の美しさを引き立ててくれる、そんな雑誌があるのではないかと思っただけですよ」
「誤摩化したってダメよ。まったく…」
文句を言いながらも、本気で怒っているわけではない。
ジョークというものをきちんと理解し、会話を楽しむことを彼女は知っている。

「これはね、あかねさん用」
「えっ?私用って…?」
開いた雑誌を、彼女はあかねの方に向けた。
「あかねさんくらいの年の女の子に、流行ってるバッグのブランドあるでしょ。あれって、私みたいなおばさん年代向けもあるって、結構素敵なのよね」
自分のことを"おばさん"なんて言うけれど、くだけた感じも洗練されていて、そんな形容詞が似合う人ではない。
鷹通の母なのだから、年齢的にはそれなりだとは思うけれど…実際の年よりイメージの方が第一。
いつかはこんな年の取り方をしたいな…と、あかねにそんな憧れを抱かせることの出来る人だった。
「ねえ、一緒にショッピング行きましょう。アウトレットモールとか、色々出来てるんでしょ?」
「あ、そうですね。郊外に新しいモールが先月出来たばかりで…」
「じゃあ決まり。やっぱりこういうのは、女性同士じゃないとね!」
嬉しそうな彼女の反応を見て、友雅と鷹通は苦笑しながら互いの顔を見合わせた。

…やれやれ。
相変わらず彼女のあかね贔屓は、尋常じゃないね。
帰国するたび、いつもこんな調子だ。
買い物や食事にとしょっちゅう連れ出すものだから、こちらは寂しく留守番を強いられてしまうこともしばしば。
とは言っても、そこまで気に入ってくれたのは有り難いことだ。
ヴェネツィアに行こう。そして、彼女にあかねを紹介しよう。
そう考えて二人で渡欧したあの夏から、きっと自分は意識していたのだろう。
いつか一緒に、未来の景色を見つけることが出来たら…と。

「あっ、友雅さん来ましたよ!」
二人の日々を思い出していると、あかねがはしゃぎ気味の声で友雅を呼んだ。
我に返った彼の目の前に用意されていたのは、ブラッドオレンジとシチリアレモンのソルベ。
真っ白なプレートの上で、寄り添うように二つは盛り付けられてあった。
「まだメインどころか前菜も来ていないのに、ドルチェは早すぎないかい?」
「何言ってるんですか。これは、友雅さんだけ特別。」
あかねが指差した金色の飴飾りに、赤のシロップで描かれた文字。
それは----------"HAPPY BIRTHDAY"。
「あなたの誕生日のお祝いにって、コースとは別にあかねさんがオーダーしてくれていたのよ」
ケーキとかチョコレートとか、そんな甘いものよりもさっぱりした味のもの。
柑橘系や冷たいソルベなら、友雅の口にも割と合うだろうと思って。
「やっぱ、誕生日のお祝いにはスイーツがないと、物足りないですもんね」
さあどうぞ、とスプーンを添えて、あかねはプレートを彼の方へ押し出した。

甘み控えめで、イタリアの果実そのものの味を強めた、酸味のある冷たいソルベ。
いつもならあかねが喜んで食べていそうなものを、今日は自分だけが食べている。
客観的に考えてみると、何だか妙な気分だ。
「あかねさんて、プラスアルファっていうか、ちょっとしたところが気が利くのよねえ」
二人の様子を眺めていた彼女が、にこにこしてそんなことを言った。
「付加価値を付けるのが上手いのかしらね。小さなサプライズとか。そういうこと、あるんじゃない?」
友雅の方を見て、彼女が尋ねる。
「ああ、確かに…思い当たる節はあるかな」
「え〜?そうですか?」
本人はまったく自覚がないようだが、彼女のやることには度々はっとさせられる。
このデザートだって、そうだ。
自分の誕生日祝いも兼ねて食事を…と前もって言われてはいたが、こんなものが出て来るとは思っても見なかった。

「昔、真っ赤な薔薇の花束を、プレゼントされたこともあったしね」
「あら素敵」
花束は男から女へ贈るものだと思っていたのに、待ち合わせのレストランにやって来た彼女は、真っ赤な薔薇の花束を抱えて。
"誕生日だから"と言って、近くの花屋で見繕って来た、と笑顔を見せた。
「あれは素敵なプレゼントだったね。花束を抱えた姫君ごと、いただいたようなものだから」
友雅は金のスプーンで、ブラッドオレンジのソルベを少しすくうと、隣にいるあかねの口元へ差し出した。
あの時の薔薇はもっと色濃くて、ベルベットのような花びらだった。
大人の恋を純粋に楽しみ始めたばかりの二人には、酔いそうなほど魅惑的な色と香りの花だった。



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Megumi,Ka

suga