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 Part.3(6/1)

時計の針が午後1時を過ぎようとしていた。
これくらいの時刻になると、図書館の利用者は少なくなる。それを見計らってスタッフは交代で昼休憩に入る。
「ただいまー。元宮さんたち次どうぞー」
先にランチを終えた同僚たち戻ると、次はあかねたちの番になる。2人1組で休憩を取るのが決まりだが、一緒に食事をしなければならないわけではない。
外へ買い物に出掛けても良いし、食堂やカフェを利用しても良い。もちろんスタッフルームで食事を摂っても構わない。決められた時間内に戻ることだけが条件だ。
「そうだ、こないだオープンしたベーカリーに行って来たよ」
同僚の一人の手には、洒落た紙袋が握られている。クラフト紙に赤の文字で、フランス語らしき店の名前がプリントされていた。
「今週いっぱいは開店記念セール中だって」
「うち、丁度パンがなくなりそうだったんだよね。ちょっと買いに行こうかな…元宮さんも行く?」
一緒に休憩に出る同僚が尋ねると、あかねはしばし考えてから答えた。
「うーん…気になるけど、逆にうちは余ってるんですよねえ」
その証拠に、昨日も今日もランチボックスの中身はサンドイッチ。
中身やパンの種類を変えたりして、今週はこんな調子のお昼になりそう。

10分ほど過ぎてから、スタッフルームに同僚が戻って来た。
買って来たパンをさっそく袋から取り出す。スモークチキンとパンプキンのバゲットサンド。
「元宮さんはバニーニかあ。美味しそう」
「でも、中身は殆ど同じですよ。私もチキン挟んで来たし」
ホントだ、とお互いのサンドイッチを見比べて笑った。
小さなタッパーには手作りのピクルス。ミニトマトやカラフルなパプリカを、イタリアンハーブと一緒に漬け込んである。
あかねのお裾分けを味わいながら、同僚の彼女が言った。
「イタリアンが好きだよねえ、元宮さんて。何か理由があるの?」
「えっ、そうですか?」
「そうだよ。パニーニってイタリアのパンでしょ?ピクルスもそれっぽいし、ほら、去年は旅行にも行ったでしょ」
なるほど確かに。これだけ揃えばイタリア好きと思われて当然ではある。
だが、実際は特別拘っているわけではなく…自然と馴染んでしまったという表現が正しい。
「何か理由があるの?もしかして彼氏が向こうの人とか!?」
「ちっ、違いますよ!日本人ですよっ」
多くの人が抱くイタリア男性のイメージに近からずも遠からずだけれど、異国の血が入っているなんて聞いたことがない。だから、多分生粋の日本人だと思う。
しかし冷静に考えてみると、不思議なことではある。
ワインと言ったら普通はフランスと考えるだろうに、徹底してイタリアに拘る理由は何だろう。
一度聞いてみようかと思いながら、あかねはパニーニをかじった。


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「別にこれと言った理由はないよ」
あっけらかんとした答えが、友雅の口から返って来た。
久しぶりに訪れた完全定休日。最近はどちらかの店が休みであっても、別の店の雑用に時間を割かれたりして一日休みになることは少ない。
そんな貴重な一日だというのに、部屋には昼間から来客がいる。
テーブルの上に4つのグラス。ワインのボトルは二本。フレーバーのアイスティーを用意したのは、車を運転する鷹通のためだ。
「強いて言うなら、若い頃に飲んだイタリアワインが美味しかったから、かな」
当時(今も大概はそうだが)、巷に出回っているワインの殆どはフランス産。
そんな時、どこかのパーティーで提供されたイタリア産ワインを試飲し、これまでとは違う新鮮な風味が印象に残った。
もう少し飲み比べてみたいと思ったのだが、何せ前述のように流通が少なく見つけるのも一苦労。
「最初は個人輸入していたのだけど、現地に彼女がいることを思い出してね」
そう言って友雅は、グリッシーニに生ハムを巻き付けている鷹通の母を指差した。
留学中に向こうで大使館員と結婚し、長年イタリア在住の彼女なら顔も広いし融通も利く。
そのうち『JADE』を開店することが決まり、これを機会にイタリアワインの販路を広げてみようかと考えた。
「最初はワインだけだったのに、チーズだハムだスイーツだと次々に注文が増えてね。こっちも結構大変だったわ」
しかしそんな目新しさが受けたのと、周囲に溢れていた女性客専門の同業店とは段違いなクオリティとで店の評判はうなぎ上り。
あっという間に『JADE』は業界トップに躍り出て--------今に至る。
初めてあかねが耳にする、『JADE』誕生時の話。
「私、天真くんがバイトするって聞いて、初めて『JADE』を知ったくらいで…」
「あかねさんはね、そういうお店に出入りするようなタイプじゃないでしょ。健全なお嬢さんですもの」
夜の仕事、水商売というジャンルで括られる業種。所謂ホストクラブなんて自分が通うところではないと思っていた。
『JADE』を訪れたのも、天真のバイト先を覗きに行こうという同級生に便乗しただけ……だったのに。

「だから目についたんだよ」
グループ客なら賑わいに紛れてしまう。でも、一人の客なら否応にも目立つ。
まるでそれは、カラフルな宝石の中で純白の光を放つ真珠のような。
客として度々訪れていたあかねの姿は、友雅の目にそんな風に映っていた。
「天真のコネには薄々気付いていたけれど、かといって特別な関係には見えなかったし。他のスタッフに声を掛けることもなく、着席したまま静かにカクテルを飲んでいる。興味をそそられてしまうよね」
天真を問いつめて真実を知ったあとは、何ひとつ遠慮する必要もなかった。
こちらから近づいて距離を狭めて、彼女から本音を聞き出して、二人は同時に深くて甘い底なし沼へと落ちた。
「私は正直なところ、いささか複雑ではありました」
アイスティーのグラスを口に添えつつ、鷹通が言葉をこぼす。
恋を遊びのひとつと考えているような友雅の相手をするには、あかねはあまりにも普通の女子大生。
友雅と付き合って、彼女が傷つくことになるのでは…と鷹通は危惧していた。
「で、今はどうなんだい?」
「さすがにもう、何の心配もしておりません」
「大丈夫よ鷹通。もしものときは私が天誅を下すわ」
顔は笑っていながらも、結構本気とも取れそうなその言葉。
それほど彼女は、あかねを娘のように気に入っている。
友雅の想像していた以上に。

フルボトルを一本終えたら、ここでアルコールはリセット。
レモンを絞った氷水のデカンタを用意して、これから今日の本題に入る。
「どちらかと言えば、肉なのね」
鷹通の母があかねに質問し、その答えを息子が手帳に書き留める。友雅はそれを隣で確認する。
「あかねさんはどうする?」
「私はどっちでも良いです。ええと、面倒じゃない方で。スタッフの皆さんに手間を取らせたくないし」
先日も同じような言葉を聞いた。貴重な休憩時間を自分のために割いてもらうのは嫌だ、と。
そんなこと気にしなくても良いのに、これが彼女の性格なのだろう。
「じゃあ、お母様のメニューを先にきっちり決めて、それに倣ってあかねさんのメニューを決めて行きましょう」
「はい、お願いします」
前菜から最後のコーヒーの種類、アルコールの有無と好みに至るまで事細かくあかねから聞き、それを頼りにコースメニューを綿密に企画していく。
旬の素材と入荷状況を細かく確認しながら、当日最高の味を楽しめるように。
「お母様が召し上がるんですものねえ。満足して頂かなきゃ」
メモを取る鷹通の母は、妙に楽しそうな表情をしている。
「何だかお見合いの準備みたい。相手はお母様だけど」
普通の見合いは、基本的に当事者同士が相手を気に入るように周囲が様々な手段を使う。
しかし今回は、相手の親。最初からかなり高いハードルだが、ここを越えねば先に進まない。
「でも、本番はお父様よね」
そう。どこの家でも異性の親が一番の難関。息子を持つ母親と娘を持つ父親。
彼らに気に入ってもらえるかで、今後の流れが変わってしまう。
「鷹通も将来のために参考にすると良いよ」
「この子は大丈夫。こちらもあちらも既に公認だし」
どんな相手かは知らないが、随分前から付き合っている女性はいるらしい。
素の状態で堅実誠実を形にしたような鷹通だ。よほどでなければ相手の両親も不満を抱くことはないだろう。
「とにかく!何としてでもお母様に気に入って頂くわよー!」
友雅たちが苦笑するほど、鷹通の母の気合いは半端じゃない。
あかねの母を店に招待するその日は、もう来週に迫っていた。



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Megumi,Ka

suga