December First Week---01



「入荷数、少なかったんでしょうかねえ…。」
午後3時と言えば、普通の会社なら仕事の真っ最中だろうが、ここでは出勤時刻ですらほど遠い。
しかし、閑散とした事務所のパソコンの前で、マネージャーの彼はモニタを凝視している。
表示されているのは、一ヶ月前に済ませたはずの繁忙期用の発注リスト。
「昨年より余裕を持ったつもりなんですが、こんなに早くはけてしまうとは…。目論見が外れましたね。」
「12月になったからねぇ。やっぱり女性はクリスマスシーズンになると、少し甘い雰囲気を楽しみたくなるんだよ。」
そんな風に、女性心理の細かいツボを言い当てる彼は、こういう店のオーナーとしては資質は十分である。
しかし、この事務所内の光景を見たら、誰もが呆れた溜息を着くだろう。
発注書のファイルと照らし合わせ、ネットから追加発注をするためにキーボードを叩く鷹通。
オーナーの友雅は…その後ろでソファに寝転がって、女性客が置き忘れた雑誌をぱらぱらめくっている。

「どうしますか?ドンペリも追加しておきますか?」
「いや、今更ドンペリなんて、どこでも飲めるよ。うちは去年同様に、スプマンテとフリザンテをメインにしよう。」
「そうですね。昨年もかなり評判が良かったですし、シーズンオフでも数はそこそこ出ますからね。」
簡単に説明すると、スプマンテとは、イタリアの発泡ワインのことである。
そしてフリザンテというのは、発泡の少ないワインのことを言う。

『JADE』のように、男性スタッフが女性客を迎え入れる店は、周辺にも多々存在する。
流行りがあるとは言っても、そればかりに乗っていたら二番煎じを繰り返すだけだ。
去年の夏に、友雅たちはイタリアに出掛け、イタリアワインに市場調査をした。
バーテンダーの資格も持つ友雅が、現地で選び抜いたイタリアの発泡ワインの数銘柄を、現在『JADE』は売りにしている。
おかげで今じゃ、ドンペリよりも遥かにオーダー数が高い。人気も上昇気流である。
「イタリアワインの評判が上がれば、今後のイメージ定着にも効果がありますからね。」
カタカタ…と、キーボードを叩く音が響く。
同時に、BGM代わりに流していたネットラジオから、クリスマスソングが流れて来た。
タイムリーな選曲だな、と、どちらからともなく笑いが浮かぶ。


夜の繁華街は世間の不況の波に流されて、相変わらず活気があるとは言い難いのが現状。
それでもクリスマスシーズンになれば、どこもかしこも工夫を凝らして、華やかさを競い始める。
ここ『club JADE』も、例外ではない。

シックな雰囲気が特徴の『JADE』では、派手な飾り付けなどは一切行わない。
しかしクリスマスの季節限定のオードブルや、デザートに特別メニューを加えたり…という程度のアイデアはある。
究極なロマンチストの女性の心を、楽しませてあげるにはどうすれば良いか?
仕事でもプライベートでも、これは男が頭を抱える悩みどころだ。
そんなクリスマスメニューも、来週から始まる予定。
なのに未だにメニュー概要が決まらず、毎日二人は相談を重ねていたのだが、ここに来て友雅は最終手段を取ることにした。


「クランベリーのソルベに、マンゴーのソースを添えるというのは、味の組み合わせも良いですし、クリスマスらしいカラーで良いですね。」
「男の私には、そういう発想は疎くてね。」
クランベリーの赤に、鮮やかなソースがゴールドのように見える。
周りにキウイのグリーンをあしらうと、まさにクリスマスの3色が揃う。
「お客さまに選んで頂いて、金箔か粉砂糖を散らすというのも素敵ですね。」
「彼女のアイデアを誉めてもらえると、私も悪い気はしないな。」
笑いながら、友雅は答える。
『JADE』の客は女性ONLY。
どうすれば女性を楽しませられるか。
困った時には、女性本人にアドバイスをお願いするのも良いだろう…というわけで、彼女に助言を頂いた。



「そういえば…今年のクリスマスのご予定は、どうされるんです?」
キーボードを叩きながら、鷹通はそのまま振り向かずに尋ねた。
「レストラン数件から、予約についてのDMが届いておりますよ。いくら馴染みとはいえ、そろそろ予約の手配をしないと間に合わないのではないですか?」
「うーん…まあ、そうなんだけどねえ…」
カレンダーの日付は、12月3日。
既に全国のシティホテルなんて、12/24〜25は満室になっているだろう。
レストランやデートスポットと称される場所も、予約がいっぱいのところも少なくないはず。
「それとも、今年はまた、どちらかのパーティーに行かれるんですか?」
「ああ、それはない。私も社交辞令に付き合うのは疲れるだけだし、あかねもああいうところは、落ち着かないみたいだしね。」

最初のクリスマスは、彼女を連れてパーティーに出掛けた。
二度目のクリスマスは、予約したレストランで食事を終えてから、スイートルームで二人きりで過ごした。
そして三度目になる今年のクリスマスの予定は…
「実際、まだちょっと迷ってるんだよ」
「あかねさんの事になると、用意の良い橘さんにしては珍しいですね?」
さりげなく、冷やかしを含んだ鷹通の声。
彼女の誕生日はもちろん、バレンタインやホワイトデー、夏休みやゴールデンウイークの長期休暇まで。
イベントやお楽しみが予想される時期には、もう何もかも手配を済ませておいて。
当日びっくりさせて喜ばせることに、ぬかりのない彼が、随分今回はのんびりしているもので、実際どうしたんだろうと思ったりもした。

「レストランやスイートルームなんて、ちょっと当たり前過ぎじゃないかな、と思ってね。」
「それなら、お店を変えられては?今年はかなり良いホテルが、随分多く開業していますし。」
顔が利くレストランや料亭だって、友雅には数多くある。
新しいホテルはゴージャスな外資系ばかりだが、彼なら余裕で出せる料金設定だろうし。
「予約入れましょうか?ネットから探せば、空室もあるかもしれませんよ?」
「…いや、そういう意味じゃなくてね。何か特別なことを…と思ってはいるんだけれど…」

今年、大学4年生だったあかねは、氷河期と言われて久しい就職難の荒波を、何とかかんとかクリアして内定を取り付けた。
さすがに第一志望は無理で、幾度か苦い結果を味わうこともあったが、来年からは希望職種だった図書館の司書となる予定だ。
「年々就職は厳しくなっていますからね…。あかねさんも、大変だったでしょうに。」
「何もしてあげられないのが、また歯がゆくてねえ…。」
言葉で慰めてやっても、逆に傷口に触れてしまいそうだし。
出来ることと言えば、なるべく話題に関わらないように、楽しい時間を過ごさせてやるくらいのもの。
「おかげで、馴染みの店には何度も足を運んでしまったし。そうなると、代わり映えしないだろう?」
「そうですねえ…確かに。」
背を向けながら鷹通は、浮かび上がる笑いに口元を緩ませた。

あかねの性格からして、そういうことにこだわったり、文句をつけたりは絶対にしない。
業界トップのレディースクラブオーナーと、普通の女子大生であるあかねとでは、元々金銭感覚やライフスタイルも違いすぎる。
そんな彼を恋人になったからと言って、自分からあれもこれもと強請ることは皆無。
むしろ、仕事そっちのけで彼女を優先しようとする彼を、窘めてしまうほどのしっかり者。
おかげで、マネージャーの鷹通としては、あかねに感謝しているほどだ。
良い意味で、世間ずれをしていない。
そんな彼女はどんなエスコートでさえ、友雅が手を引いてくれるなら、それだけで笑顔を見せるはず。
おそらく友雅も、それは十分理解はしているだろう。
でも、それだからこそ……

「だからこそ、もっと驚かせたくなるっていうかね。」
子どもみたいに無邪気に、びっくりして大喜びする顔が見てみたい。
そういうもの、らしい。


「クリスマスプレゼントも、まだ決めていないしね…。12月になったのだから、いい加減本腰を入れて、少し焦らないといけないな。」
「そうですねぇ。そろそろ世間全体が、クリスマス騒ぎが始まりますからね。」
カチ、カチ、とキーを叩く音が響き続ける。
そんな中、手元に置いてあった鷹通の携帯が、メールの着信をランプと音で知らせてきた。