「ミモザか。そういう季節なのだね」
開店前のフロアに、鮮やかな黄色の花枝が山積みになっている。
3月8日は国際女性デー。女性の社会的地位向上を謳う日となっており、PRにミモザの花を設定しているためミモザの日とも呼ばれている。
特にイタリアでは重要視されている記念日で、親しい女性に感謝を込めてミモザを贈る習慣がある。
JADEの頃からこの時期には産地直送でミモザを仕入れる。
期間中に来店した客にひと枝ずつプレゼントするのが風物詩だった。
Giadaでもこの習慣を取り入れようと思ったのだが、こちらの客は老若男女なので女性にだけ…というのも昨今の流れだと合わないのかもと一旦取りやめになった。
そのかわり店内のあちこちにミモザを飾るようにしている。
「春が来た!って気分になるわよね、この色を見ると」
イタリア暮らしの長い鷹通の母にとっては馴染みのある花で、懐かしい気持ちでいっぱいになるらしい。
明るい黄色の花と緑は、モノトーンの冬が終わり春が訪れたような印象がある。
友雅がミモザの枝を手に取って眺めていると、彼女が何本かをこちらに差し出した。
「持って帰ったら?プレゼントすべき女性がいるでしょ」
確かに。あらゆる面で感謝すべき相手がいる。
一緒にいるだけで幸福感を与えてくれる、唯一無二の最高の女性が。
鷹通の母は英字新聞で数本をくるっとまとめ、リボンで結び簡単なブーケを作ってくれた。


「わあミモザですか?」
花束を目にしたとたん、あかねの表情がぱっと明るくなった。
「少し分けてもらってきたよ。春が訪れたみたいだね」
「ちょっと寒い時もありますけど、もうちゃんと春ですよ。うちの図書館の近くの梅の木とか満開で綺麗ですよ」
イタリアでは春の訪れを知らせるのはミモザだが、日本では梅だろう。
梅が咲き終わると桜が咲き始め、いよいよ春本番となる。
「というわけで、このミモザはあかねにプレゼントだよ」
わざと両手を添えて献上するかのような仕草で、友雅は改めてあかねにミモザの花束を差し出した。
「女性のための日は、男が女性に感謝を伝える日なんだよ」
「私、感謝されるようなことしてないですけど」
「QOLが格段に上がったのは全部あかねのおかげなのに?」
言い出したらキリがない。
食事や掃除など一連の家事。一応住まわせてもらっている身だから、と律儀な理由を挙げるけれど、そもそも最初から彼女の存在を前提に選んだ部屋だ。気持ちの中ではあかねも主の1人と思っているのだが、まだ一線を超えていないようで。
ーーー本当に一緒になったら、さすがに認めてくれるんだろうね。
それにはもう少し、乗り越えるハードルが残っているけれど。
「まあ女性に感謝をするためのミモザだから、受け取って欲しいな姫君」
こぼれるような黄色の花を抱かせ、その唇にキスをする。
感謝と、親愛と、尊敬と、甘美と…たくさんの想いを込めて。



Giadaは定休日だが、今日は新メニューの試食と打ち合わせでスタッフが集まっていた。
春から初夏に向けて展開する料理やコース内容、新しく追加するメニューや限定メニューなどを揃えて試食しながら話し合う。
「で、今回のドルチェはカッサータにしてみました」
スタッフの前に試食のプレートが用意された。
一切れは所謂最近見かけるようになってきたタイプのカッサータだが、もう一つタルトのような菓子が乗せてある。
「こちらは焼菓子のカッサータです。調べたところシチリア西部ではこのようなものもあるようで、珍しいかと思い試作してみました」
「あ、何かこれ覚えがあるわ。昔シチリア一周した時どこかで食べたような気がする」
鷹通の母が遠い記憶を呼び起こしながら一口味わった。
サクッとしたタルト生地と、チョコチップを混ぜ込んだリコッタチーズクリーム。
「意外に甘ったるくはないね。軽めのベイクドチーズケーキっぽい感じかな」
「本場のレシピはかなり甘いので、そこは食べやすくアレンジさせてもらいました」
エスプレッソと共に味わうなら良いけれど、食後のデザートに出すなら甘さはやや遠慮気味な方がいい。せっかくのメインディッシュの味わいを打ち消してしまっては困る。
「定番のアイスタイプはコースに良いんじゃない?こっちのは普通にドルチェとして並べても良いかも」
「焼菓子タイプなら通年出せそうだね」
「アイスタイプはこれからの季節に良いと思います。それに、今月はホワイトデーもありますから、白いドルチェはさりげなくアピールの意味もありまして」
なるほどね、ホワイトデー=白いドルチェか。
あからさまにバレンタインやホワイトデーは謳わないけど、ちょっと雰囲気を忍ばせて…というのはなかなか粋かも。
新メニューの打ち合わせは楽しいものだ。それぞれの持つ感性やアイデアが展開され、新しい発見に出会える。



「思い出したわ、あのカッサータ!」
ミーティング終了後、遅めの昼食を摂るためにレストランにやって来た。
そこで突然鷹通の母が、手を叩いて導き出した記憶を話し始めた。
「長男を産んだあと、主人が旅行に連れて行ってくれたのよ。それがシチリアだったの」
大学在籍中に出産して休学していた時のことだった。初めての育児でメンタルをやられないようにと、夫が小旅行に連れて行ってくれた(ベビーシッターを手配して)。
「久しぶりの2人きりだったから、デートしてる気分になっちゃって楽しかったわ〜」
イタリア感覚が染み付いているのか、それとも元々の性格か。
何十年経っても未だにあけっぴろげに惚気るのは彼女の長所。
「旅のことはしっかり覚えてるけどお店や食べ物の記憶はおぼろげだわ。何かエピソードがあれば別だけど」
「観光地とかホテルとかは?」
「そうねえ全部主人が手配してくれたから分からないけど、部屋からの景色が綺麗なホテルだったわね。シチリアはね、異文化が混ざり合ってて街並みが面白いわよ」
仕事で毎年のようにイタリアには行くが、思い返すとシチリアには行っていなかった。イタリアの中でもワインの名産地の一つであり、観光地としても認知度の高い地域でありながら、今までスルーしていたのが不思議なくらい。

「あなたが人気の高い地域は一つに絞ろうって言って、シチリアを外したんでしょ」
「覚えていないな、そんなこと言ったかな?」
「言ったわよ。だからトスカーナにしたんじゃない」
最初は無難に有名産地のブランドを選んだ方がいいと言ったのに、他でも見かけるものばかりじゃ面白くないとやんわり拒否して。
結局トスカーナをメインに地域を広げ、小さなブルネッロワイナリーを幾つか契約して事業をスタートしたが、こんなやり方で大成功してしまうのだから血は争えないというか。
せっかくだから、と鷹通の母がホールスタッフを呼び止めた。
そしてワインメニューの中から、シチリア産ワインをグラスでオーダーした。
割と高めの価格帯と低価格の2種類。今回はどちらも白で。
「たまにシチリアワインは飲むよ。辛口でも飲みやすいしね」
公私的にもワインを価格で選ぶことは少ないが、シチリア産は手頃でデイリーにもコースでも重宝しやすい。自分の店では扱っていないが、こういう場では時々選ぶこともある。
「次の視察で足を伸ばしてみようかな」
「良いんじゃない?JADEと違って料理がメインだから、カジュアルなワイン増やしても良いかもよ」
「そうしようか。シチリア…観光地だし旅としても楽しいだろうね」
友雅の言い方に、彼女はピンときた。
「え、今回一緒に行くの!?」
まだ本人に打診してはいないが、予定が合うなら同行してもらおうかと思っている。国内での遠出は時々一緒に行くけれど、海外は久しぶりなので。
「1人では何もかも退屈すぎてねぇ」
観光に出かける気にもならないし、食事も面倒でホテルのレストランで済ませてしまう。あかねが一緒だったら…と何度思ったことか。
「言っておくけど今回はガイドはいらないからね」
「えー残念、私も行こうかなと思ってたのに」
「貴女はご主人と一緒が良いだろう?思い出の土地なのだし」
確かにね、と笑って彼女はワインを飲み干した。







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