「「そういえば、最近紫陽花をよく見掛けるね」
「六月ですものね。梅雨のシーズンといえば紫陽花でしょ」
「確かに。だが、昔と比べるとやけにカラフルなものが目につくよ」
「品種改良が進んでるんですって。色もそうだけど、花の形も結構バラエティに富んでるわよ」
薄暗い店内のカウンターで、グラスに注がれたのはまさに紫陽花のような色。
ブルーキュラソーのクラッシュゼリーをちりばめた、特製のバイオレットフィズはこの季節限定のカクテルだ。
「今年はこれ飲めないかと思ってたわ」
『JADE』を開ける日数が以前より少ないため、常連客からの予約問い合わせが毎日入る。
特に六月の営業について尋ねる客が多い。
それは、オーナーの誕生日が六月だからである。

「お店は来月から?」
「予定ではね。遅くても中旬前には何とか」
先月末から『giada』は改装工事に入っていて、ひと月ほど休業することになった。
有り難いことに客足は途切れるどころか増える一方で、時間によっては厨房が戦場さながらの状態になる。
これらを考慮し、調理時間を短縮しつつクオリティを保てる器具などを揃え、やや力を入れた改修工事に踏み切ったのであった。
「何度か会社の子を連れて行ったけど、また行きたいって言ってたわよ」
「リニューアルの際には、どうぞよろしく」
「それまでは、馴染みのあるここで楽しませてもらうわ」
『JADE』の常連客の中でも比較的古株の彼女を始めとして、今月はぎっちり予約が隙間なく入っている。
キャンセル待ちは基本的に受け付けない。
不確かな約束は顧客をがっかりさせる可能性があるからだ。
限られた時間で、宝石のようなひとときを味わってもらう。『JADE』のモットーはずっと変わらない。
「ところで11日は営業するの?…っていうか、あなたお店に出て来るの?」
今年の6月11日は金曜日。通常ならば営業しているし、当然今年も店は開いている。
実を言うと、毎年この日は一番予約が取りづらい日だ。
オーナーの誕生日祝いに店を訪れたい客が山ほど居るからである。
「長居はしないけど顔は出すよ」
「じゃあ、何か贈ろうかしら。欲しいものある?」
彼女は遠慮なく本人に尋ねる。
無難なのは花?おそらくたくさん届くだろうけれど、例えばどんな花なら良いか。
「…花よりも観葉植物が良いかな」
少し考えて、友雅が答えた。
「観葉植物ねえ。店内に飾る用?それともプライベート?」
「プライベートの方向で。涼しげな雰囲気のものがあれば」
「なるほどねぇ〜」
長い付き合いなので、彼のプライベートも少しは承知している。
数年前から本気の相手がいて、ほぼ同棲と言っても良い状態だとか。
彼の頭の中で描くプライベートの映像には必ずその女性の姿が存在していて、観葉植物を希望したのも恋人が影響しているのだろう。
「良いもの探しておくから、次に来たときはお礼に一杯ごちそうしてね」
そんな話を交わした客が約20人ほどいた。
さて、6月11日当日はどうなることやら------------。




今日と明日は有給の連休を取った。
年に一度の誕生日なのだもの、ゆっくりお祝いして過ごしたいじゃないか。
いや、自分ではなく彼の誕生日なのだけど。
でも…そういうものじゃないだろうか。
自分自身の誕生日を祝うよりも、好きな人の誕生日を祝う方がわくわくするし楽しいし。
どんな風におもてなしをしようかとか、メインディッシュやケーキはどんなものが良いかとか。
プレゼント選びも悩むのがまた楽しくて。
「それで、プレゼントは何にしたの?」
「えっとですね、カフリンクスにしたんです」
プレゼント用に包装してもらったので現物は見せられないが、スマホで写真を撮っておいた。
「あら素敵。カラーストーンが緑っていうのも良いわね」
「それで決めました。さすがに本物の翡翠じゃないですけど」
二つのお店の名前を連想させる、グリーンのストーンがついたカフリンクス。
仕事とプライベート問わず使えそうで、なかなか良いチョイスだなと自画自賛してみる。

「鶏肉、冷蔵庫に入れておくわね」
「ありがとうございまーす!」
ディナーの用意を一人では大変だろうと、鷹通の母が手伝いに来てくれている。
それなら是非彼女も一緒にディナーを…というあかねの提案は、主賓の友雅によってあっさり却下された。
誕生日を迎える者の意見を尊重して、ディナーは二人きりで過ごさせて欲しいものだ、と。
「そう言われちゃさすがにねえ」
サラダ用の野菜をカットをしながら苦笑する彼女にならって、あかねもくすぐったい気持ちで思い出し笑いをした。
一緒に誕生日を迎えるのは、もう何回目になるだろう。
誕生日だけじゃなく、クリスマス、お正月、バレンタイン…数々のイベントを二人で過ごした。
出会った頃の遠い憧れみたいな想いは、時を重ねて少しずつ変化した。
今でも時々彼の姿に見とれていることもあるけれど、もう手の届かない存在ではない。
むしろ、一番違い存在の他人。
だけど…そう遠くない未来にはきっと、二人は他人じゃなくなる。
その日に一歩一歩近付いていると、今は信じて疑わない。
「年に一回しかない日だものね。今日はわがまま聞いてあげてちょうだい」
「ふふ、分かりました」
「あ、でも調子に乗らせ過ぎないようにね!」
テラスの窓から吹き込む、ほのかな潮風。
揺れ動くレースのカーテンが、波のようなシルエットをリビングの床に映している。

梅雨がそこまで近付いているけれど、今夜は月も星も楽しめそうなお天気。







 




Moonlight Fragrance