大切をきずくもの

 001
人間、慣れてしまえばどんなことでも、結構いつも通りに生きて行けるものなのだな、と思う。
十数年生まれ育った世界を、いともあっさりと蹴飛ばして、こうして別の異空間で生きている現実。それがまた、違和感を覚えなくなっているのが妙に不思議でもある。
秋が深まり、山は赤や黄色に葉を染めてゆく。
実りの秋というのはいつの時代も変わりないようで、この京も例外ではなかった。

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「天真くーん!頼久さん、まだ来ない?」
バスケットのように持ち手を付けた竹籠を手に、あかねが天真の名前を叫ぶ。その横には、詩紋が同じように籠を持って立っている。
夏場に侍女たちから教えてもらい、手作業で編んだ籠だ。
これを手に、今日は木の実採りに出掛ける予定だった。

案内役は、勿論頼久である。
彼は山道などにも詳しい。小さい頃から山で足腰を鍛えていたこともあり、木の実や茸、山菜などの知識も豊富だ。
そんな彼に先導してもらいながら、木の実の宝庫と呼ばれている渓谷の近くへ出掛けるつもりなのだが、肝心の頼久はまだやって来ない。

「しょうがねえな…ちょっと武士団でも覗いてくるわ、俺」
「うん、お願い。でも、お仕事とかで忙しそうだったら、無理言わないでまた後日ってことでも良いからって、そう言ってあげて。」
あかねの顔を見て、天真は口元が緩んだ。
「フン…分かったよ。じゃ、偵察に行ってくるわな」
そして彼はあかね達に背を向けると、武士団の詰所へ向かう為に一旦外へ出た。


結局の所、どうしてこの世界に残ったかと言うと……。
自分たちがこの京に馴染んでしまったから、という理由が大きいのは当然だが、あかねの場合は多分少し違うだろうと思う。

「"言ってあげて"か。へっ…あいつのこと、よくわかってら」
さっきの言葉を思い出して、天真はニヤニヤと表情が歪んだ。
あかねがそう言ったと告げれば、多分頼久の気は少しでも紛れるだろう。他の誰の言葉でもなく、彼女の言葉だけが頼久の心に届く。
それを知っているから、そうすれば彼が気負いをせずにすむから、と考慮して。

何となく、雰囲気は上々な感じではあるのだが、何せ相手はあの頼久で…そして、あかねの方は少しだけ天然で。
そんな二人であるから、すぐに進展することは期待出来ない。
急ぐこともないだろうけれど、まあそんな彼らを眺めているのも面白いかな、と天真は気楽に考えていた。



武士団で頼久の行方を尋ねてみると、どうやら団長…つまり、頼久の父に連れられて、しばらく前から詰所で話をしているということだ。
深刻な問題が発生したわけではないらしいが、かれこれ30分も前から話が続いているらしい。
「何だってんだ?」
天真は首を傾げつつ、詰所へと向かった。

おそらく中に入れてくれるはずはないだろうけれど、どこか隙間でもあれば、覗いて二人の様子を伺う事も出来る。
だが、生憎のタイミングで、詰所を修理したばかりだった。修理前なら軋みもあったが、今はそんな箇所はないだろう。
仕方が無い。何もしないでいるよりは、こうして耳を峙てて話を聞くくらいなら、と天真は壁に耳を付けた。
すると、驚くべき頼久の父の言葉が聞こえて来た。


「だがな…頼久、おまえもそろそろ、こういう話も真剣に考えなければいけない時期なのぞ?」
「ですから、その件は以前にもお断りしたはずです。私のような未熟者には、そのようなことは無理です。」
会話の雰囲気から察するところ、和やかなムードではなさそうだ。
しかし、問題の話の筋がいまいち把握出来ない。状況としては、父の話に頼久は乗り気ではないということくらいが分かる程度か。
だが、そのあとに続いた頼久の父の言葉が、天真の疑問を一気にひとまとめにさせた。
「おまえも、じきに三十が近い。普通ならどこぞの女性と夫婦となって、子供が数人いても良いくらいだ。だからこそ、こうして話を持って来てくれる者もいるのだぞ?」

……も、もしかして、この話は……!?

「しかし、半端な気持ちで夫婦になることは、相手の方にも無礼になるかと。今の私には、とてもそのような余裕はございません」
ふう、と大きな溜め息が聞こえる。おそらく頼久の父のものだろう。
「この頑固者め…。孫の顔を見せるとか、そんな親孝行は考えないのか?それとも、あれか?将来を誓えるような相手がいるのか?さっぱり見当は着かないが」
頼久はそれきり、何も答えなかった。





「あ、天真くん…。頼久さん、見つかった?」
一人で戻って来た天真に、あかねが尋ねた。
「あー…何か、親父さんと混み合った話をしてるみたいでさ…。もうちょっとしたら、また様子を見に行ってくるわ。」
「そっか。じゃあ何か飲みもの探してくるね。それ飲んで待っていようよ?」
あかねはそう言い残して立ち上がると、バスケットを詩紋に預けて厨房の方へと姿を消した。


小鳥のさえずりが、耳に優しい秋の日。
深呼吸をしながら身体を延ばすと気持ちが良い。
そんな風にしている詩紋の隣で、天真の表情は複雑なままである。
「天真先輩?どうかしたの?」
とたんに天真が、詩紋の肩をつかんで真剣な面持ちをしてこちらを見た。
「あ、あのな!これ、あかねにはオフレコってことで頼むけどな…!さっき頼久を見に行ったとき……」

言いかけたとたん、足音がこちらに近付いて来るのを二人の耳がキャッチした。
そして、音の方向に目を移す。
「すまない、天真。所用で少し待たせてしまった。神子殿は、どちらに?」
「あかねちゃんは、今飲み物を取りに行ってます。頼久さんが来るまで、何か飲んで待っていようってことで」
詩紋が答えると、彼は申し訳なさそうな顔をした。

しばらくして、あかねが3つの小鉢を持ってやって来た。
しかし、そこに既に頼久がいることを知ると、自分用に持って来た小鉢を彼に差し出すことにした。
「神子殿、私が遅れたせいなのですから…神子殿の分を頂くなど出来ません。」
「良いんですよ。私なんかよりずっと早くから、お仕事していて大変なのに、私たちに付き合ってもらっちゃうんですから、こっちこそ申し訳ないですもん。」
朱塗りの小鉢の中に、一粒氷を浮かべた水に口を近付けると、ほのかにスダチの香りが爽やかに漂った。
口に運ぶとひんやりと冷たいのに、喉を通ると爽快感のある潤いが身体の中に染み込んで来る。
疲労で強張った筋肉までもが和らいで、すうっと力が丁度良く抜けて行くようだ。
「飲んだら、さっそく出掛けましょう!たくさん収穫して料理に使おうね!」
詩紋と顔を合わせながら、元気よくあかねはそう言った。
その明るい笑顔と、身体を潤してくれる水の力は、頼久にとっては同じ意味のあるものだった。

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「うわあ、すごいね!これ、みんな天然のものなんだよね!栗がたくさん落ちてるよ!」
頼久の案内で山に辿り着くと、一面は紅葉に包まれていた。
しかし、それよりも目を見張るのは、原生している果樹や山菜などの数だ。
栗、柿、林檎に茸、そしてあらゆる山菜など…。奥ばった山道を抜けた場所だからこそ、人の手が殆ど入らずに自然の食料庫のように保たれている。
もしかしたらバスケットが足りなくなるかも、といらぬ心配をしながら、あかねは周囲を見渡してみた。

「あ、りんご…かなあ、あの木。」
色付いた実がいくつも見える。それほど高い木ではないが、あかねがつま先立ちして背伸びをしても、掴むにはまだ身長が足りない。
懸命に手を伸ばしているあかねを見つけて、頼久が近付こうと足を踏み出したと同時に、天真が背中を彼女の方へ押し付けるようにして、軽く突き飛ばした。

「はいはい、頼久の出番ー!あかねのお手伝いはおまえにおまかせー!」
あかねの隣で立ち止まって、頼久は彼女が掴もうとしていた林檎の実を片手でもぎ取った。
「どの実がよろしいですか?お選び頂ければ、お採り致しますので。」
比較的小振りな林檎の実だが、頼久の手から差し出されたそれは、甘酸っぱい蜜の香りがほんのりと薫った。
「あ、じゃあ…えっと……」
もう一度、あかねは実る林檎の果実を見上げた。
何となく頼久の笑顔が、暖かすぎてどきどきしてしまったので。




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Megumi,Ka

suga