重なる笑顔

 しあわせになるいつつのお題(3/5)
本日の土御門の風景は、いつもより賑わいを見せていた。
春。暖かい陽気に誘われるようにして、庭の花が咲き誇り始めている。桜は見頃の時期を終えてしまったが、花咲く時期はこれからが本番だ。
池の中を泳ぐ魚たちも、水面をすりぬけて差し込む日差しに身体を照らされて、心地よさそうに漂っている。
どこからかやってきた小鳥の声も、そんな鮮やかな春の風景に彩りを添えていた。

それにも増して、この情景を華やかにさせているのは、集まった客人たちの姿だ。
仁和寺の法親王、稀代の陰陽師と名高い安倍晴明の一番弟子という二人だけでも、なかなか見られない顔ぶれではあるが、更にそこには最近京で話題になっている若い刀匠の姿がある。
かと思えば、庭に近い簀子のそばには藤原家の治部少丞。隣には現在最も帝に近い場所にいると噂の左近衛府少将。
実はこの二人、もうじき大丞と中将へとの転任が決定している。
「それだけ、今後を期待されているということだよ。」
「それをおっしゃるなら、友雅殿の方でしょう。本来ならば飛び越えて大将へというお話もあったとお聞きしましたが」
「噂が真実とは限らないよ。それに、そうであっても大将は何かと面倒だからね。1人よりも何人かいてくれた方が、気楽というものだからね」
こういうところは相変わらずだ、と鷹通は笑った。一見いい加減に見えて、本来は誰からも信頼出来るだけの実力を持っている。だからこそ、常に帝から声がかかるのだ。


「ちょっとイノリくんてば!駄目だってば!」
「いいじゃん一個くらい。ちゃんと味見しねえと美味いもんなんか出来ないって」
厨房の方から慌ただしい会話が聞こえてきた。
「まあ、どう致しましたの?イノリ殿。厨房にいらしているなんて」
声を聞きつけて走ってきた藤姫が、その場に不似合いなイノリの姿に驚いた。
「イノリくんが、やっと今蒸し上がったお芋をつまみ食いしたんだよー!」
「つまみ食いじゃねーっての。味見だって!毒見だって!」
「そんな都合の良い事言ってー!」
ああ言えば、こう切り返す。それは微笑ましい以外の何ものでもない。
この二人がほんの一年前までは、まともに向き合うことさえ出来なかったほどの犬猿の仲だったとは、今となっては誰が信じるだろう?
「しょうがないなぁ。じゃあ藤姫、こっちの蒸し上がった方は広間の方に持って行くね」
金色の綿毛を持つ少年は、湯気を立てた蒸篭を両手に抱えた。
「まあ詩紋殿、今日はじっとしていて下さいませ。厨房でお疲れでしょうから、そのようなことは他の者に手伝わせますわ。」
藤姫の目配せで、侍女たちがすぐに動いて詩紋の手から荷物を引き離した。
「大丈夫だよ、これくらい。厨房って言ったって、ただ調理の仕方を教えてるだけで、作業はみんなにやってもらってるだけだし。」
京で手に入るものを使って、現代の菓子に似たものを作ってみようという試みも、何度か繰り返しているうちにコツがつかめてきた。
はじめは物珍しさも手伝って、詩紋が作る菓子は周囲の話題の的となっていたが、今ではすっかりその虜になって楽しみにしている者が多くなった。
「いえいえ、本日の主賓の方を歩き回らせては意味がございませんもの。ゆっくりしていらして下さいませ」

そう。今日の主賓は…詩紋と天真、そしてあかねの3人。
彼らがこの京にやってきてから、丸一年が過ぎたという特別な日。
すべての結末を迎えて半年が過ぎていたが、彼らはここに残って新しい人生を歩む事を決めた。
その理由は個々にあるのだが、すべてはやはりあかねの決意が左右したと言って良い。


「随分と髪も伸びたね。初めて逢った時は、肩くらいまでしかなかったのに」
友雅の指が、あかねの髪をすくうように掻きあげる。小学校以来伸ばした事のなかった髪は、背中まで届いていて結わえるには丁度良い長さになっている。
たった一着しかなかった制服の代わりにと、着るようになった袿にも慣れてきた。それだけの時間が流れたということだ。
「よく似合っているよ。京の姫君にも劣らないくらいだ。」
あかねの毛先に唇を寄せようとした友雅の手を、ピシャッ!と景気よく叩く音がした。
「ったく、あんたの手の早いところは変わってねえな!」
ムッとして背後に立っていたのは、天真だ。そんな彼の態度に対して、揺るぐような友雅ではない。
「野暮な事を言わないことだ。綺麗な花には誘われるものだよ、男はね」
二人のやり取りを呆れながらも、鷹通は笑いながら眺めている。


「そういえば……あいつはどこにいるんだ?朝から見かけないけどさ」
広間を一周見渡した天真は、1人の姿が見えないことに気がついた。
あかねもその言葉にうなずくように答える。
「うん、私も探してたんだけれど…いないんだよね。藤姫にも聞いたんだけど、特別な急用が出来たっていう話もないって。武士団の方にも尋ねてみたけど、知らないって…。多分私用でちょっと出ているんじゃないかって言うんだけど…」
珍しいこともあるものだ。あの頼久が、あかねの用事を退けてまで私用を優先するなんてこと、あるわけがないと思っていたのに。
頼久にとって、あかねの存在が第一だ。それを越えるものは皆無と言って良いほどに。どんなことがあろうと彼女が頼久のすべてだと、傍目から見てもそう思っていたが…。
ましてや黙って姿を消すなんて、あり得ないと思うのだが。
「賑やかなのは苦手だったかな…。だからどこかに逃げちゃったとか…」
「ばーか、そんなことあるわけないだろ。確かに、騒がしい場所は得意じゃないだろうけどさ。だからって、集まってんのが俺らじゃあ今更気にすることでもないだろ」
こつん、とあかねの頭を軽く天真は小突いた。
張本人がその場にいないと、あれこれと余計なことまで考えてしまうものだが、そんなあかねの考えは笑い飛ばすくらいの些細なものだ。
人付き合いが苦手な頼久だが、八葉との間に遠慮など必要ないことは充分承知だろう。この天真本人でさえ、頼久と逢った頃は同じ青龍として今後やっていけるんだろうかと思った程、顔を合わせれば衝突ばかりだった。
それも今では……一番心を許せる友だと断言できる。

ひとつの戦いの中で、知らなかったお互いの姿が見えて来る。第一印象では分からなかったものが、付き合ううちに見えてくる。
そうやって、それぞれの関係が変わって行く。かけがえのない、大切なものを知る。

「あの…神子、実は住職からお届けするようにと、お持ちしたものがあるのですが」
永泉が静かに歩み寄ってきて、少女のような相変わらずの笑顔を見せる。
「帝のお許しも頂いたので、一枝持って参りました。是非、この土御門の庭で神子の目を楽しませて差し上げられるようにと」
その手にある、まだ花の付いたままの若々しい枝を見て、誰もが思わず声を上げた。
「御室桜ですね。京の桜の中でも美しいと名高い名花の一つです。これを直々に頂けるとは……」
鷹通は目をこらして、その枝を感慨深く見つめる。
皇族ゆかりの仁和寺にある御室桜は、背は低いが花の美しさで高く評価されている。だからと言って、その一枝が寺以外に分け与えられることなど滅多にない。
友雅でさえ、そんな権力はない。直々に帝の承諾を得られる法親王の永泉だからこそ出来るものだ。
「まあ、どういたしましょう…こんな素晴らしいものを頂けるとは。是非、神子様のお部屋に一番近いところへと植え込みましょうね」
永泉から受け取った桜を、藤姫はあかねの前に差し出した。ふわりと揺れる小さな桜の花が、春という季節を表現していた。

春のはじめに、この世界にやってきた。そして季節が夏に移る頃、ここに残ることを決めた。
生きてきた17年間よりも長いであろう、これからの人生を新しい世界で生きることをあかねは決めた。
懐かしい生まれ育った場所よりも、離れがたいものをここで見つけたから。
過去よりも未来を選んだ。
彼のいる、この場所で------------。


「なあ、まだ頼久は帰ってこないのか?出来上がった料理も、せっかく詩紋が作った菓子も冷めちまうぜ?」
しびれを切らしてイノリが言う。天真も、気配さえ見えない頼久に呆れてため息をついた。
だが、イノリが言うようにいつまでもこんな状態でいるわけにはいかない。せっかくの祝宴なのだ。
「俺、ちょっとふらっと外を一回りして探してくるわ。見つけたらすぐに連れて帰ってくるから、先におまえらは盛り上がってて良いぜ」
そうは言ったが、あかねは多分盛り上がるなんて気持ちにはならないだろう。
頼久がいないままで、晴れ晴れとしていられるわけがない。その証拠に、どこか今日の笑顔は冴えない。

天真が外に行こうとした時、泰明がぽつりと無機質に言った。
「その必要はない。今、天真が出ていったところで、すれ違いになるだけだ」
今まで泰明は黙っていたが、もしかすると気でも飛ばして頼久を捜していたのだろうか。
「そろそろ戻ってくる。ここで待っていればいい。」

泰明が言った、その2分後。

「神子殿………」
庭先からやっと姿を現した頼久が、あかねの元へと真っ直ぐ足早に歩いてきた。
「おまえ今までどこで……っ!」
天真は問いつめようとした。が、その手に握られていたものを見て、何も言う気がなくなってしまった。
彼の手の中にある花は、とうてい桜にかなうようなものではなかった。小さくて、そして素朴で、あかねたちにとってはさほど珍しくない花だった。
春になれば土手に咲くシロツメクサと共に咲き出す、ほんのりとピンクを添えた小さな花-------レンゲ草。
頼久は、それをあかねに差し出した。
「以前神子殿が、お好きだとおっしゃっていたので……」
わずか十本程度のレンゲ草を手に、驚いた顔であかねは頼久を見た。
「私が…、そんなこと言いました?」
探してきてくれた頼久には悪いが、あかねには全く覚えのないことだった。だが、彼があかねの言った言葉を聞き間違えることなんて、おそらくあり得ない。
その証拠に、あかねがそんな風に答えても、頼久は全く表情をゆがめることはなかった。
「昨年、お供をさせて頂いた時、河原のそばに咲いているこの花を、神子殿は立ち止まって懐かしそうに数本摘んでおられました」
あの時のあかねの言葉を、ずっと覚えている。

"小さい頃はこの花を摘んで、首飾りに出来るように編んだりして遊んでいたんですよ。春になってレンゲが咲くと、嬉しくて摘みに出かけてたんです。懐かしいな。"

数本を摘んでは編み、また摘んでは編んで…。首飾りを作るほどの長さには作れなかったが、ピンク色の花を編み込んだ輪っかは、華奢なあかねの腕飾りに丁度良く似合っていた。
「せめて、神子殿のお生まれになった世界のことを、懐かしく思い出されるきっかけになればと…先日洛北の川沿いに咲いているのを見つけて、摘みに出かけておりました」
この花を見たとき、あかねのあの日の笑顔が自然に重なった。そうして、記憶がゆっくりと浮き上がってきた。もう一度、あの笑顔が見られるかもしれない、と思った。
摘んで日にちを置いては、花が弱るだけだ。だから贈る直前に、咲いていたままの瑞々しさを残したままで、彼女に贈りたかった。
そのために、朝から出かけていた…ということだ。

「頼久さん、ありがとう」
きゅっと両手でレンゲ草を握りしめて、こみあげてくる想いで胸を詰まらせて、あかねは微笑んだ。
その笑顔は、あの時とは少しだけ違った風に見えたけれど、それよりももっと輝いていて眩しくて、頼久の心を暖かくさせるには十分だった。

-------過去を思う懐かしさよりも、今はあなたのその心が嬉しい。
-------いつもそばで見つめてくれている、あなたの瞳の優しさが嬉しい。
-------だから、離れられなかった。ここで生きていきたかった-------あなたと。


「御室桜も、頼久のレンゲ草にはとてもかないませんね」
永泉は苦笑しながらも、二人の光景を眺めていた。その隣で、天真が頼久に聞こえるくらいの声で言う。
「何かさぁ、おまえが跪いて花を贈るカッコって、まるでプロポーズしてるみたいだぜ?」
「て、天真くん!」
あかねはすぐに反応して顔を染めたが、頼久の方は言葉の意味が分からないために、ぽかんとしている。詩紋が天真の背後で、くすくすと愛らしく笑っていた。
見た目には素朴すぎる花かもしれない。だが、華やかな赤いバラにも負けない想いがそこには詰まっている。
それは天真が口にした言葉の意味と、まんざら遠くはないだろう。

「天真先輩、レンゲ草の花言葉って知ってる?」
背伸びして詩紋が、こそこそと天真に耳打ちをする。
「そんなの俺が知るわけねーだろ。おまえ、知ってんの?」
「あのねえ…………」
誰にも聞こえないように、詩紋は天真に花言葉を告げた。とたんに、天真は笑いをこらえきれなかった。
「はは…あいつが贈る花の言葉にしちゃ、できすぎなくらいにぴったりだ」
張本人たちは、こちらの様子にはどうやら気付いていない。お互いの気持ちを交わす幸せに浸っているようだ。

春、爛漫の一日。
暖かな陽気と、暖かな想いに満ちあふれた幸せな一日。



-----THE END-----


#レンゲ草の花言葉……「私の苦しみを和らげる」




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