おさない約束

 しあわせになるいつつのお題(2/5)
冷たい小雨の降る夜に、この世から消えてしまったあの人は
今、どこで私を見ているだろう。どんな瞳で私を見ているだろう。
あの日と同じ優しい眼差しで、見つめてくれているだろうか。
幼い頃に焼き付けた記憶は、彼の面影とともに鮮明なまま息づいている。


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「あれ?頼久さんは?」
部屋から見える花咲き誇る庭先に、いつもいるはずの頼久とは違った顔があるのを見たあかねは、彼に向かって尋ねた。
「はい。本日は所用があるとのことで、早くからお出かけになられております。何か御用がありましたでしょうか?」
「…ううん、別にそういうわけじゃないんだけど」
用事があるわけじゃない。ただ、毎日目が覚めると最初に見えるはずの頼久の姿が、ここにないということが非日常的に感じてしまったからだ。
「御用がありましたら、私にお申し付け下さい。そう命じられておりますので。」
頼久よりも明らかに年下そうな彼は、まだ新米のようで意気揚々としている。はじめての大役に、良い緊張感が漂っているようだ。


それにしても、頼久の所用とは何だろう?藤姫やあかね、そしてこの屋敷の当主である左大臣に仕えている彼は、個人の意思で行動することは皆無に等しい。
加えて特に趣味というものも聞いたことがなく、休暇というものも彼には必要ではなかった。
その彼が何故、姿を消したのか。

「本日は、頼久の兄上殿の命日であると聞きましたわ」
背後から藤姫の声がして、あかねは振り返った。相変わらず漆黒の長い髪は縺れることなく、艶やかな文様の単衣はしわ一つない。
「頼久さんのお兄さんの……」
「そうですわ。お父様から先程伺いました。墓前に手を合わせに行きたいとのことで、今日一日だけ暇を取らせてもらいたいとのでしたわ。」



■■■

もう、何度目かの春になる。いつのまにか自分は兄の年を越え、さらに前を歩き続けている。
桜は毎年咲き誇り、そして雪のようにあっけなく散っていく。そんな繰り返しが来年も続くだろう。
「今年も見事なほどに桜が花開きましたね」
誰もいない寺の奥深くで、頼久は麒を仰ぎながらつぶやいた。


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「幼い頃に、兄と約束をしたことがあります」
「お兄さんと?どんな?」
彼から手渡された剣。それを受け取ったときに……忌まわの境で言った最後の言葉。
頼久は、腰に差した剣を取り出した。鞘からは抜かず、ただしっかりとそれを握りしめる。
「この剣で、人を危めることはするなと。どんなことがあっても、命を手折ることはしてはならないと。ただ一つ例外として、『おまえの一番大切な人を護るときだけ剣を抜け』と、そう言って…兄は世を去りました。」
剣は人の命を奪うことだけが全てじゃない。人を護るためにも、その力が必要になる。
ならばその剣を、奪うことではなく護ることに使うがいい。その時こそ、この剣はおまえの心と一つになるはずだ。
「これまでずっと、この剣を手にすることはありませんでした。ですが、私は……」
あの時の兄の声が、今でもすぐそばで聞こえてくるような気がする。
「明日から、私はこの剣を手にして生きていこうと思います」
一番大切な人を護るための、この刃の輝きを胸に秘めて生きる。
隣に、彼女がいる限り。
「私の力でこの剣をまともに扱えるかどうか、それは分かりません。ですが、今この剣を使わなかったら…兄との約束を破ることになりそうな、そんな気がして。」


春の雪は二人の間をすり抜けるように、ふわりふわりと舞うように散っている。
お互いの肩が花びらで染まって、時折唇をかすっていくけれど、払い除けるつもりはない。

「あなたをこの剣で、お護りします」

一瞬強い風が吹いた。更に花の舞いが激しくなびく。
その中で二人は見つめ合ったまま、ほぼ同時に少しだけ微笑んだ。





-----THE END-----



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