予言の鳥

 001
その日、珍しい鳥を見た。

夜露に濡れた背中に朝日が反射し、水晶の欠片のように輝きを放っていた。
その鳥は庭先に置かれた岩に止まったまま、通り過ぎようとした私に気づいても鳴きもせず、そこから飛び立つこともなかった。
人の気配には敏感な生き物であるはずなのに、それだけでも充分珍しいと思ったが、何よりも不思議だったのは、その羽根の色だった。

朱雀のような赤ではない。むしろ紅に近い。
だが、あくまでそれは淡く白みを帯びていて……そう、桜の花のような色だと言って良い。
今までこんな色の羽根を見た事はなかった。

何度か話しかけてみたが、反応は何も返って来なかった。
それなのに、私がそこにいる限りは立ち去る気配がない。

「泰明、支度はどうした?」
母屋からお師匠の声がとたんに、羽ばたく音が響いた。目の前に、羽根が舞う、
空を見上げると、鳥の姿は見えなかった。
ただ、桜の花が舞うように羽根が空から舞い降りてきているだけだった。


■■■

「おまえはまだ、この世に生を受けて間もない。おまえが知らない鳥など、何万羽といるのだから気にすることはない。何せ、長年生きてきた私でも、まだ見た事のない鳥はいるだろうしな。」
客人宅へ向かう牛車の中で、お師匠はそう言いながら笑った。
それくらいの事は分かる。この世に、命を授かったものは数限りなく存在する。それらをすべて知ることなど無理だと分かっている。
すべてを理解することは無理だと、既に悟っているが…気になったのはそんなことではない。
私の様子が気になったのか、興味深そうにお師匠はこちらを覗き込んだ。
「ふん…おまえがそこまで執着するとはな。確かに珍しいものかもしれんな」
そう言いつつ、好奇心旺盛な目をしてこちらの内部を探っている。
「何か手がかりはないのか?容姿が変わっていたとか。それなら調べようがつくのだがな」

容姿に関しては、単なる小鳥というしか表現出来ない。目新しいものなど、何一つない平凡な鳥の姿だった。
唯一手がかりになるものがあるとしたら………。

「ん?それは羽根か?」
「飛び立つ時に抜け落ちたものを拾ったものです」
お師匠は手を伸ばし、私の手にあったその羽根を取り上げた。
そしてそれをじっくりと眺めつつ、何度か言葉にならないうなり声とため息を漏らした。
「確かに…滅多に見ない色の羽根だが…形は珍しいものではない。逆にそれが珍しいという感じだな…」

桜色の羽根にお師匠も興味を持ったのか、調べてみるから預けろと言われた。
私が持っていてもどうにかなるわけでもない。
そのまま私は羽根を預け、いつしか存在さえも薄れて消えそうなほどの日々が過ぎていた。


■■■

星の一族と呼ばれる土御門家から連絡が来たのは、梅の花がほころびそうな三月の事だった。
「おまえが八葉に選ばれるとは…龍神は一体何を考えているのか…」
送られてきた文を開き、しばしお師匠は頭を抱えた。
八葉とは、龍神の神子を守護する役目を担う八人の男なのだと言う。龍神が自らその者を選び、選ばれた者には証として宝珠が身体に埋め込まれる。
そして、鏡に映った私の目の下に、輝く石がいつのまにか埋め込まれていた。

「八葉は、神子を護るためにある。それだけは理解しておくのだ。唯一、おまえに託された意味はそれだけであることを忘れるな。」
何度もお師匠は、そう言った。
そう、神子を護るために自分があるのだ。自分は、そのために八葉として選ばれたのだ。
それが出来なければ、存在する意味はないのだ……繰り返し頭の中に刻み込んで、私は屋敷を後にした。

あれはもう---------半年も前の事だ。


■■■

全てが終わりを告げようとしていた頃。
私は自分の中にある、理解し難い感情に困惑していた。
お師匠はあらゆることを、私の中に移し込んでくれたはずだったのだが、それでも何一つ私には理解出来ないものだった。
自分が自分ではなくなるような、一歩先の足下さえ見えないような日々の中、八葉としてまともに行動さえ出来ない私を気にしてか、お師匠は自ら土御門家へ赴いて神子に逢いに行ったらしい。
そこでどんな話をしたのか、私は未だに何一つ聞かされていない。
だが、屋敷に戻ってきたお師匠は、蒔絵の施された箱の中に後生大事にしまわれていたものを取り出して、私の手に握らせた。
「この羽根の意味が、やっと分かったぞ。これは、おまえが持っていなくてはならないようだな。」
ふわりと手の中で弾けるような、柔らかい桜色の羽根が私の元に戻ってきた。

あの鳥は…今どこにいるのだろう。
ふと、そんなことを考えた。


*****


夏が近づいている。紫陽花は一雨毎に色を変えて、緑は一層濃いめに色を染めて行く。
「わぁ、いい香りがする!」
久しぶりに屋敷に訪れた彼女が、庭に出たとたんに声を上げた。
その隣に立ち、流れて来る香りの先を辿ってみると、白い花弁を開かせた花が咲いているのを見つけた。
「それは、くちなしの花だ。そろそろそんな時期なのだな」
渡殿からやってきたお師匠が、高欄からこちらを見下ろすようにして立っていた。
くちなしという花は知っているが、今の今まで屋敷の中にそれが咲いていることなど全く知らなかった。
「そういえば確かに、香りがするな。これがくちなしの香りだったのか……」
甘い芳香は咲き乱れる花の中から、少し雨を含んだ湿りがちの風に乗せて漂う。
「悪くない」
つぶやくと、彼女が微笑んでこちらを見上げていた。

「ふふん…泰明、おまえはその花がどんなものか、詳しくは知らんだろう」
背後からの声に身体の向きを変えると、何か企んでいるような笑みを浮かべたお師匠がそこにいる。
「おまえがその香りを好むのは、まあ……運命というものだろうなぁ。そもそも、あの鳥がおまえの元にやってきたことが、今のおまえ達を予言していたようなものだからな」
……お師匠の言う意味が、何一つ私には分からなかった。
この香りを好む意味、そしてあの鳥が私の元にやってきた意味。何故、それが今の私と彼女を現しているというのか。


「晴明様、菓子のご用意が整いましたが」
桔梗の式神である侍女が、音もなくお師匠のそばにやってきた。
「ご苦労。さあ神子殿、実は珍しい唐菓子を頂いたのでな。是非とも召し上がって頂こうかと用意させたのだよ。」
「わぁ、いつもすいません!」
手招きをするお師匠に誘われるようにして、彼女は足早に屋敷の中へ上がって行った。
侍女に導かれていく彼女のあとを着いて行こうとすると、私の肩をお師匠が叩いた。
「先程の私が言った言葉の意味が、全く理解出来ていないようだな?」
こちらの心境をすべて見極めているかのように、私の表情を伺っては笑みを浮かべる。
隠すと言う行為など最初から出来るとは思っていないが、自覚出来ていない微妙な私の変化をお師匠の目は見逃しはしなかった。

「おまえが見た、あの小鳥はな…未来を告げにやってきた鳥だ」
--------未来?
「滅多にないことだが、稀に重要な未来を持つ者の前にやってくる鳥がいると、以前聞いた事がある。おそらく、おまえの前に現れたのはその小鳥だったんだろう」
お師匠が言う、私の重要な未来。それは多分、八葉に選ばれし者という意味でのことだったのだろう。
いずれこの私が、自然の摂理に逆らって生を受けた私が、龍神に選ばれるという希有な運命を伝えるために、目の前に現れたのだ。
「確かに、おまえの考えていることは正しい。だが、それだけというわけでもないのだよ。」
そう言ってお師匠は手を開いた。そこには、私が持っているはずだったあの時の羽があった。
「小鳥は、その者にとって何かしら意味のある色に羽を染めて、現れると言う。この羽の色に、今のおまえなら何か気づくはずではないか?」

春に咲く花をすべて混ぜ合わせたような、桜色の羽を見る。周囲に花びらが舞い始めた。
桜吹雪。雪のように風に舞い踊る春の風景。お師匠の力が、私の記憶を包むように暖める。

「おまえに課せられた八葉という役目。そして、神子に出会う運命。おまえに、心を芽生えさせることの出来る未来を、あの小鳥は告げにきた。」
この色でなくてはならなかった。彼女を表現するには、この桜色ではならなかった。
彼女に出会うことを、その未来をあの小鳥は………告げるために私の目の前に現れたのか。

「今のおまえに、神子以上に重要なものはあるまい?」
その言葉に、少しだけ口元が緩んだ。そんな私を、お師匠は満足そうに微笑んで見る。

「さて。神子を待たせては申し訳ない。そろそろ行くとするか。」
衣の袂をひるがえし、お師匠は緩やかな足取りで母屋へと歩きだした。
しかし、何か良い忘れていた事があったのか、一度立ち止まって私の方を振り向いた。
「言い忘れていたが、さっきのくちなしの事だがな。くちなしという植物は、『あかね』という植物とおなじ部類に属するものなのだ。知っていたか?」
扇で口元を隠しながら、私の表情の変化を楽しんでいる。
「それを思えば…おまえがその香りを好むのは、仕方がないことであろうなぁ」
声を高らかに笑いながら、お師匠はやっと私をその場に置き去りにして歩き出した。

何もかも、運命は無意識のうちにつながりあっているということか。
自分が気づかないうちに、意味を含めたもの同士が引かれ合って強い運命の絆になっていく。

見上げる空には、まだ雨雲が残っている。その隙間からわずかだけ、太陽が顔を出していた。
その光に照らされて、羽ばたいている鳥の背中が、あの時の小鳥の姿と重なって見えた。



---THE END---



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