花盗人

 001
朝靄が外の空気を淀ませる。
しかし、その色は落ち着いていて、悪意のような淀みは感じられない。
むしろその色の中に溶け込んで、眠りに落ちたいような気持ちにさせる。
夜露が光る葉桜の下。
足音が草むらに響く。
まだ、眩しい太陽は顔を出さない。
丁度、朝と夜の狭間。静けさが全身を包み込む。

こんな時間に京の町を歩くのは、友雅にとっては珍しいことではない。
どこぞの姫君や侍女のところへ行った帰りに、まだ人の気配がない町を一人で歩いたりすると、新しい発見がいくつか見つかる。
昼間の喧噪で隠れてしまったもの。
たとえば、橋のたもとに咲いている、小さな白い花。
名前も知らない、見過ごしてしまうような花。
気づく者は誰もいない。その花の可憐さを。
そして、思う。
彼女の顔が見たくなった。

■■■


気が付くと、土御門のそばまで来ていた。
こんな時刻に訪れたところで、彼女に会えるなんてことはないだろうに。
分かっていることなのだけれど、足がいつのまにか引き寄せられた。
藤の花に包まれた屋敷の中。そっと覗き込む。
まだ、彼女は夢の中に漂っているだろうに。
彼女の静寂の安らぎを引き裂くような、そんな無粋な真似などしたくはないし、そんな気も全くないのだが、何故かそこから離れたくなくて、足がいつまでも引き留められた。

「友雅殿?」
まだ白い空気が漂う中で、一人たたずむ友雅の姿を見つけた頼久が庭からやってきた。
「如何なされたのですか?こんな時刻に、なにか気になることでもおありですか?」
「ああ、頼久。相変わらず一晩中、神子殿の警護についていたのかい?」
「勿論でございます。いつ何時、怨霊や鬼の輩が神子殿に刃を立てるか分かりません。一瞬の油断でも許せません」
「君がそこまで目を光らせてくれているのなら、心配することなどないだろう。神子殿がぐっすりと床についておられるのも、そんな君のおかげだろうね」
上半身を覆う衣に落ちた夜露を払いながら、友雅はそう言って笑った。
「友雅殿、なにかあったのですか?」
頼久は怪訝な表情で友雅を見る。
「いや、神子殿はまだ床についているだろうから。陽があがったら、またやってくることにするよ」
そう、この靄が晴れた頃に、衣の夜露が乾いた頃になったら、彼女もいつも通りに笑ってくれるだろう。
名残惜しい気もするが、今は屋敷を後にしよう…と思い、門へと向かおうとしたとき。
頼久が背後から友雅を呼び止める声がした。

「神子殿でしたら、さきほどお目覚めになっておりますが」
「…頼久、こっちが聞きたいくらいだよ。こんな朝も明け切っていない時刻に、何故神子殿がお目覚めなのだい?そっちこそ、何があったのだい?」
現世で言うとすれば、およそこの時刻は午前五時をやっと回った頃。少女が目覚めるには早すぎる。
「理由は分かりませんが、さきほど庭に出てこられました。お体の具合が悪いというわけではないようですが。私にも理由は検討がつきません。ですが、お会いになるのでしたら、部屋の方におられますが。」
身体が、自然に彼女のいる場所の方向を見た。

■■■


不思議な余韻が残っている。夕べ見た夢が鮮やかで、その刺激に目が覚めてしまった。
なんてことのない夢だったのに、目がやけにすっきりしてしまって、横になっても眠ることが出来なかった。
以前は朝なんて苦手で、遅刻スレスレの時間に家を飛び出したりしたのに。
こんな時間に目が覚めてしまうなんて、自分でも信じられない。
でも、眠れないのだから仕方がない。

藤姫が起きてくるまで、彼女から借りた書でも読んでみようかと思ったが、正直言って古文は苦手な方だったので、解読するのには時間がかかりすぎて疲れそうだ。
一人で貝あわせも退屈だった。
だからと言って、散歩に出掛けたいなどと言っても、頼久が許してくれないだろう。例え共についてくれたとしても。
せいぜい庭を散策するくらいしかないか。
そろそろ藤の花も咲いてくる頃だろう。
葉桜を眺めるのもいいかもしれない。
あかねは障子を開けて、薄暗い庭へ出た。

池の魚が、水音を立てる。
少し湿った空気。庭に漂う夜露の香りを吸い込み、夕べの夢を思い出してみる。
甘くて、優しい夢。月明かりが、まだ瞼の後ろに残像を残している。
その時。

「神子殿」
「きゃあっ!!!」
背後からの声と、肩に触れられた手の感触に驚いて、思わず声を上げたあかねの口を友雅の手のひらが慌てて覆った。
「まだ朝も明け切っていない時間に、そんな大きな声を上げては驚いてしまうよ。頼久が飛び出してこられては困る」
そっと手のひらをあかねの口から外して、友雅は彼女を後ろから覗き込むように見た。
「び、びっくりしただけですよ!!こんな時間に、友雅さんがここにいるなんて思わなかったし…」
「頼久はずっと、一晩中神子殿のそばにいるだろう?」
「そりゃそうですけどー、頼久さんは最初に声をかけてくれるから…」
「私も声をかけたはずだけれどね?」
確かにそうだのだけれど、あかねが驚いた本当の理由は、そこに友雅がいたからだ。
夕べ夢の中で出会った彼が、そこにいたからだ。

「まあ、いいさ。取り敢えずこうして、こんな時刻にも関わらず、神子殿の顔を伺うことが出来たのだから満足さ」
なんだか鼓動が早くなってきた。
夢の中での友雅は、今、この瞳に映っているような甘い笑顔だった。
鮮やかな夢の名残が、リアルに現像となってそばにいる。
「それにしても珍しいね。まさかこんな時間に、神子殿が目覚めているとは思わなかったよ。一体何がそんなに、君を夢から覚ましてしまったのかな?」
藤のつぼみを背後に携えて、友雅は尋ねた。
「そ、それは…えーっと……あのー……」
まだ辺りが明るくなくて良かった。もしも朝日で一面が黄金色になったら、この頬の紅色も気づかれてしまうかもしれない。
「…さしずめ、夢の中で恋の歌でも頂いたのかな?」
きゅん、と、あかねの胸の中で音が鳴る。
「そ、そ、そんなことなんかないですよーっ☆」
どうしよう?他人の心を読みとるのには長けている友雅に、全て見抜かれていないか?

夕べ見た夢。
彼からの甘い恋歌を受け取る夢のことを。
どきどきして、眠れなくなったこと。甘くて、酔ってしまいそうな夢の情景を。
自分の中だけに保管しておきたいくらい、素敵な夕べの夢物語。

「まあ、女性にこれ以上強いることも無粋だからね、これくらいで話は終えておこう。願わくば、その恋歌を書いた相手が、私だと嬉しいのだけれど」
また、そんな事を言って友雅は笑顔を作る。あの夢の中と同じ笑顔であかねを見る。
その度に鼓動が早まって行くことは、彼には分からないだろうか。
「そ、そんなことより…友雅さんはどうなんですか!?何でこんな時間に出歩いているんですかっ!」
「私かい?生憎と今日は華やかな時のあとではないのだよ。朱雀門の夜の警護を終えて、朝帰りの途中だったのさ」
「じゃあ、疲れてるんでしょう?早くお屋敷に帰って休んだ方が良いんじゃないんですか?」
心配そうなあかねの顔を見ると、友雅は指先を彼女の頬に添えた。
「その前に、神子殿の顔が見たくなったのだよ」
直視すると全身の体温が一気に上昇して、燃え尽きてしまいそうになるのに、友雅から目を離せなくなる。
心音があちこちから聞こえてくる。脈拍がいつもより多い。
「まだ起きてないだろうと思ったけれど、会うことが出来て良かった。満足したから、そろそろ失礼しようか。」
東の山の裾野が明るくなってきて、雲を金色に染めて行く。
「町が賑わいはじめたら、改めて伺いに来るよ」
そう言い残して、友雅は屋敷を後にした。帰り道、橋のそばを再び通り過ぎた。

■■■


来るときに見つけた白い花は、まだそこでひっそりと咲いている。
「すまないね。こんなところよりも良いところに連れて行くから、少し我慢しておくれ」
友雅は地を少し掘り起こして、花を根ごと取り上げて立ち去った。

■■■


部屋から見える庭のすみに、持ち去った花を植えた。
何事もなかったように、花は咲き続ける。まるでずっと、生まれたときからここにいるような顔をして。
「ずっとここで、咲き続けておくれ」
花に向かって、友雅は囁いた。
部屋の文壇の上に置かれた和紙には、夕べしたためた歌がある。
しかし、この歌を彼女に渡すのは、もう少し今を楽しんでからにしよう。



---------後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背





-----THE END-----




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