Trouble in Paradise!!

 第1話 (1)
はじめての時のことなんて、もう覚えてなんかいない。
正確に言えば、それほど時間が経っていないのだが、会う毎に繰りかえされていく回数に、もう最初の記憶も奥深く沈んでしまっている。
でも、常に変わらないのは、胸の中のときめき。
白い花の香り。それよりも甘いのは、彼の唇。
抱きしめてくれる腕の強さ。彼との距離が少しでも狭まることで、生まれてくる感情はまどろみの世界に似ていた。

そんなひとときを少しでも長く感じたくて、黙って静かに目を閉じる。
柔らかい感触が触れている間、彼の腕の中で力を解き放って、静かに時間が流れていくことだけを待つ。
出来るだけゆっくりと、二人でいる時間が長くありますようにと祈りながら。


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「酷いな…通り雨かと思ったけれど、これでは十分に本降りだ。」
あかねを抱きかかえて、やっとのことで逃げ込んできたそこは、無人となった寂れた寺の跡だった。
急に降り出してきた雨。すぐに止むかと、木陰で雨宿りをしていた二人ではあったが、徐々に雨足は強くなりはじめて、いつしか足下まで水浸しになっていた。

久し振りに、二人きりで出掛けられることが出来たから、わざと人気のない高台の場所へとやって来たのだが、かえってそれが悪かった。
丘を少し登る道は案外荒く、こんな風に雨が強まればあっという間にぐずついてしまうのだ。
悠長に木陰で雨が上がるのを待つ、なんてことは無理だ。
友雅は衣をあかねの上に被せ、来た道の途中で見つけた空き寺へ彼女を抱いて、足早に逃げ込んだ。
顔に当たる飛沫も、足下を濡らす泥水も構う余裕さえなかった。
ただ、彼女だけは少しでも雨から守らなくてはと、それだけを考えながら道を駆け下りた。



冬場なら、寒さを凌げるはずもない。
あちこちがきしみ、板が外れて格子戸さえも折れているところがある。人が住めそうにないことは明らかだが、外にいるよりはマシだ。
幸い、雨漏りはそれほど酷くない。
「濡れなかったかい?衣一枚では役に立たなかったかな。」
「ううん、大丈夫です。それほど濡れてないみたいですし。それより…友雅さんの方が大変そう。」
あかねの被っていた衣は、十分に雨を吸い込んで色が変化している。それほど長い距離ではないのに、これだけ濡れているということで雨足の強さが分かる。
その証拠に、何も雨除けを持たなかった友雅の方は、髪の毛の先から雫が滴り落ちている。
「私は平気だよ。それよりも、君の方が心配だ。大切な神子殿に何かあっては大変だからね。」
「…ありがとうございます。でも、ホントに大丈夫ですから…」
泥だらけになった浅沓を脱ぎ捨て、板張りの床に素足を投げ出す友雅の隣で、あかねも靴を脱いだ。


雨はまだ止まない。地の上に出来た水溜まりには、飛沫が跳ねていくつもの輪を作っている。
何時くらいになるだろう?早めに出てきたのは良いけれど、雨雲で薄暗い空の様子で時間は計れそうにない。
「本当に、平気かい?」
簀子の上で、寄り添いながら外の様子を眺めていると、友雅の手があかねの頬に触れた。
「え?別に何ともないですよ。」
「寒くはない?」
「大丈夫ですってば。ほら、それほど濡れてないでしょ?」
水干の裾が少し滲んだ程度。靴を脱げば、足だって濡れていない。
そうあかねが答えると、友雅が笑いながら自分と彼女の額をこすり合わせる。
「それは残念だ。肌寒いのならば、私が暖めてあげられるかと思ったんだがね。」
反らせないほど近くに迫った目の中を見つめ、お互いしか視野に入らないように、彼は距離を狭める。
「…こんな時に冗談言えちゃうなんて、友雅さんの余裕ってスゴイ。」
屋根の上から、とめどなく流れ落ちる雨。彼の笑顔に便乗するようにして、あかねも笑いながら友雅の肩を軽く押し出そうと手を添えた。
その手を、彼が強く握る。そうして、自分の胸の中に彼女を取り込む。
「交わされるとは思わなかったな。少しは本気だったのにね。」


そうやって、繰り返し唇を重ねては、見つめ合う。雨が止まないから、そんな時間の使い方しか思いつかない。
濡れてなんかいないと言ったのに、友雅の腕の中にいると暖かくて心地良くて、そこから離れがたくなる。


心を確かめ合ったのは、半月前のこと。
気付かぬうちに、お互いが特別な存在になっていたことに、ほぼ同時に自覚症状が生まれてきていた。
隠せない想いが二人を引き寄せて、自然に通じ合うことが可能になった時から……二人だけの秘密が出来た。
神子と八葉としてのつながりよりも、強い絆が二人をつないでいる。
"恋"という名の絆が。


出掛ける時は、二人の八葉と共に三人で、というのが普通だけれど、時々こうやって二人だけで出掛けられるチャンスが訪れる。
そんな機会は決して多くないけれど、だからこそこんな時こそは…誰にも内緒で自由気ままに足を伸ばした。
町中の人混みをくぐり、眺めのいい山の空気に触れ、澄んだ水辺で涼を取り、そんな中で少しずつお互いに歩み寄る。
初めてのキスに恥じらいを感じていたのも、もう気持ちの上では昔のこと----------のように思える。
こうして何度も、ささやかなぬくもりを確かめ合うだけで、至福の時が訪れる。
好きだから、幸せを感じられる。その胸の中で。


のぼせているのだろうか。唇の感触を味わいすぎた?
目眩がする。
本堂の後ろに自生している、白い橘の香りに酔っているのかもしれない。
これも恋のせい?だとしたら、彼にすべてを預けてしまっても構わないだろうか。
「いつものような君も魅力的だけれど、二人きりの時には、こういう君の方が嬉しいね。」
自らの腕を背中に回して、友雅の胸に顔をうずめたあかねを、彼はしっかりと抱きとめた。
これまでのように、その場の感情に流される早急な想いではなくて、ゆっくりと時間をかけながら想いは成長し続けている。
愛しさが深みを増して、更に円熟味を帯びていくのを、彼女の存在を目にしながらいつも友雅は感じていた。

もう一度、そんな愛しい彼女に口付けをしようと、彼は手を頬に延ばした。暖かい熱が指先から伝わる。
夢見心地のように、眩しそうな目をして、頬を染めてあかねは友雅の胸の中に居る。
熱が……伝う。いつもよりも熱い、頬が赤い。

「神子殿?」
友雅の声に、あかねは反応して顔を上げる。今にも伏せてしまいそうな、重苦しい瞼と火照るような頬の色。
「……何ですか?」
言葉の吐き方からして、気怠そうだ。

しっかりと、友雅は再びあかねの身体を強く抱きしめてみる。衣を超えて感じて来る彼女の体温。
手のひらを額に当ててみる。自分の体温よりも、かなり熱い。
「不味いな…。もしかして、今朝から具合が悪かったのかい?」
「え…そんなこと、ないですよ…普通ですよ…」
自分の声がたどたどしいことも、気付いていないのか。小鳥のさえずりのように、軽やかに話す彼女の口調とは全く違う。
それだけ、異変が起こっているという証拠だ。

「熱があるようだ。今は微熱程度だが…このままでは更に上がるかもしれない。」
だからと言って、目をやった外の景色はまだ雨雲の下。
さっきより雨足は弱まったが、止むという予感はどこにも感じられない。
「でも…うん、ちょっとだけ…熱い…かも。」
額に触れている友雅の手が、冷たく感じる。彼が言うように、熱があるからなのだろう。

"普通ですよ"だなんて、本当は嘘。夕べから少しだけ身体がだるかったし、寝汗もかいた。
風邪かも知れないと思ったけれど……どうしても、嘘を突き通したかったのだ。
目の前にある、二人だけの時間を無駄にしたくなかったから。


「頼むから、少し休んでもらえないか。こんな寂れた場所で私が出来るのは、そばにいることくらいだ。」
「……大丈夫ですよ。きっと…少し休めば平気です。」
そんな風に言いながら笑う顔も、ぎこちなさがあるというのに。
だが、雨の中で身動きを取れない二人には、何もすることがない。
出来ることと言えば、少しでも早くこの雨が上がって、再び日が差してくるのを祈るくらいだ。



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Megumi,Ka

suga