ナースステーションには休憩室が併設されている。
お世辞にも広いとは言いにくいスペースだが、移動する必要もなくすぐに小休止できるので重宝だ。
ミニキッチンの棚にはマイマグカップが並んでおり、赤だったりピンクだったりドット柄やキャラクター柄等々。
女性週刊誌やファッション雑誌もおかれていて、未だ7割が女性という看護師の男女比を露にしている。
そんな雑誌の中に、実用的なカタログも数冊並んでいる。
「ねえちょっとあかねも相談に乗ってよ」
インスタントのカフェオレを入れていたあかねに、同僚の看護師がカタログを見せた。
三ヶ月おきに業者から送られてくる、衣料雑貨の通販カタログ。
ナースシューズやウェアの他に、仕事で使える便利グッズなどが豊富に取り揃えてあるので、見ているだけでもなかなか楽しい。
「従妹に就職のお祝いで贈るもの考えてるんだけど、決まらなくって」
「あ、医療センターに決まったって言ってましたね」
「そうそう。色々考えて、やっぱ実用的なものが良いと思ったんだけどねえ」
看護学校を卒業して就職先も決まり、晴れて今年から看護師として歩き出す従妹。
一応看護師の先輩としては、それらしいものを贈ろうとカタログを開いたが、どこに焦点を置くかでまた迷っている。
必要不可欠な雑貨は自分で揃えるだろうし、なくても良いけど便利なもの…といったら何だろう。

「ナースウォッチってどうですか?」
「ナースウォッチ…ああ、それがあったかー!」
あかねの提案に、彼女はすぐさま該当ページをめくった。
ナースウォッチとは名前の通り、看護師が使いやすいと思う機能を備えて作られた時計。
医療従事者向けなので、看護師だけでなく医師も使用している者が多い。
形状は懐中時計形が一般的で、必然ではないが持っていて損はないナース雑貨の一つだ。
「可愛いのが良いか、オシャレなのが良いか迷うねえ」
「デザイン豊富ですよね最近のって」
「しかも結構お手頃じゃない。それでいて機能も良いし、これじゃまた迷うわ」
フレームのカラーだけで15種類あったりして、選択肢が多すぎるのもこういう時は困る。
「あかねって、どんなの使ってたっけ」
「私はこれです」
胸ポケットから時計を外してテーブルに置く。
文字盤はパステルピンクでフレームはシルバー。デザインはシンプルだがバックライトや10気圧防水機能もあって使いやすい。
しかしあかねが使っている時計は、目で見てわかるほど年期が入っている。
「ここに来た時から使ってますからね」
「マジで?物持ち良いなあ。買い換えないの?安いのいっぱいあるじゃない」
確かにポケットマネーで買える時計はたくさんある。
だが、あかねは時計を握りしめて首を横に振った。
「これも贈り物だったので、思い入れがあるから手放したくないんです」
贈り物のナースウォッチ。
彼女にプレゼントする人間と言ったら------100人いたら全員がきっと彼を思い浮かべる。
「…新人のときから使ってるって、つまり就職のお祝い?」
にっこりと微笑んで、あかねはうなずく。
その頃から既に二人は付き合っていたのだな…と改めて見せつけられた、
よくもまあ、数年も同じ職場でバレずにやり過ごしていたものだ、と感心する。
「壊れていないし買い換える必要ないですよ」
何より、年季が入って見えるということは、自分の看護師歴がそこに刻まれている証。
それらを誇りに思いたいから、古くなっても使い続けたいとあかねは言った。



土曜日の夜。
目の前にはレストランのコース料理が並ぶが、ここは我が家のダイニングテーブルだ。
じっくりと焼き上げたローストビーフを、スライスしてプレートに盛り付ける。
付け合わせのソースを回しかけ、アーティチョークとミニトマトのマリネを添えて。
オーブンで数十秒温めた数種類のパンは、ほのかに焼きたての匂いが漂う。
黒塗りの箱を開けると、海老や鯛など魚介を使ったオードブルが宝石のように陳列されている。
抹茶や野菜の緑と海老のピンクが、桜を表現しているのだとお品書きにあった。
シャンパンは甘口のロゼ。栓を開けて、まずは彼女のグラスに注いでから。
フルーティーな味わいに合わせて、フレッシュないちごをひとかけら沈める。
そして最後に、椅子を引いて彼女を席に座らせる。
--------ここまでが、エスコートする側の仕事。
「では、どうぞお召し上がり下さい天使様」
ホワイトデーの夜だから、主役は彼女。こちらはもてなす側。
コンシェルジュを通して特別コースをケータリングで手配し、自宅にいながらゆっくりとリッチなディナーを楽しむ。
「デザートはベリースイーツの詰め合わせだそうだよ」
「えー、そんなの聞かされたら気になっちゃうじゃないですかー」
「じゃあ早めに食事を済ませてしまおうか」
「それも勿体ないです。こんなに美味しそうなのに」
楽しそうに困り顔を作るあかねと向き合い、友雅はグラスの縁を突き合わせた。


「で、結局お祝いの品ですからね。あまり安くても…ってことで4000円くらいのを選びました」
テーブルの上に飾られたブーケを間に挟んで、料理を味わいつつ日常的な雑談を交わす。
先日同僚が悩んでいた件は、ラベンダー色のフレームの時計に決めたとメールで連絡があった。
「ナースウォッチか。以前と比べると今は使っている人が多いね」
「そうですね。私の頃はまだそれほどでしたけど、この頃はみんな使ってます」
職場だけでなく、見た目が可愛いので普段使いにもう一つ持っている人も少なくない。
中には看護師が使っているのを見て、自分も欲しいと患者から尋ねられた人もいるとか。
「一般の人には可愛いチャームに見えるのかもしれませんね」
あかねはそう言って、甘めのロゼシャンパンを少し口に含んだ。
「しかし、この時期にナースウォッチの話題が出るというのは、何と言うか…これは偶然なのかな」
友雅が苦笑いを浮かべてグラスを揺らしている。
言葉の意味を解こうと首を傾げるあかねに、彼は白い箱を差し出した。
「ホワイトデーのプレゼントを用意したのだけどね」
「あ、ありがとうございます」
理由のあるプレゼントならば、遠慮せず素直に受け取るようにしているので、あかねはそれをすぐ手に取った。
開けてみても良いかと尋ねてから、パールピンクのリボンをほどく。
小さめの箱に金色のメーカー名の刻印。
中に納められていたのは…紛れもなくナースウォッチだった。
「え、これ、私にですか?」
「随分と今のが使い込まれていたから、新しいものをと思って選んだのだけど、今となっては少々複雑だな」
「どうしてですか。すごく嬉しいですよ?」
カタログを見たばかりだから分かるが、このメーカーはプロ向けの老舗高級メーカーで、小さなナースウォッチでもそこそこの値段がする。
値段相応の信頼と高性能、デザインセンスも兼ね備えていて業界でも一目置かれている。
「あかねもそろそろ、これくらいの時計を持つに相応しくなったな、と選んだのだけどね。でも、最初の時計をそこまで大切にしてくれているとねえ」
彼女が看護師になってから、肌身離さず使われて来たナースウオッチ。
値段は今回の半分程度。しかし手入れを怠らず、現在も正確に動き続けているというのが友雅にとっては嬉しい。
そんな時計を、簡単に新しいものに換えて良いものか。
これも彼女のために選んだものだけれど、ずっと昔の時計を大切に使っていて欲しい気もある。

友雅が複雑な心境に捕われている反面で、あかねはあっさりと答えを返した。
「じゃあこれまでのは普段使いにして、仕事場では新しいこっちの時計にします」
何の迷いもなく、彼女にしては珍しく即座に答えた。







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